第一回 → 黄巾賊(一)
前回はこちら → 人間燈(にんげんとう)(四)
***************************************
郿塢城の大奥には、貂蟬のほかにも良家の美女八百餘人が蓄へられてあつた。
繚乱の百花は、暴風の如く、馳け入る兵に踏み荒され、七花八裂、狼藉を極めた。
皇甫嵩は、部下の兵が争うて奪ふにまかせ、猶(なほ)
「董卓が一族は、老幼をわかたず、一人残らず斬り殺せ」
と、厳命した。
董卓の老母で今年九十幾歳という媼(をうな)は、よろめき出て、
「扶(たす)け給(たま)へ」
と、悲鳴をあげながら、皇甫嵩の前へひれ伏したが、ひとりの兵が跳びかゝつたかと見るまに、その首はもう落ちてゐた。
わづか半日のまに、誅殺された一族の数は男女千五百餘人に上つたといふ。
それから金蔵を開いてみると、十庫の内に黄金二十三万斤、白銀八十九万斤が蓄へられてあつた。又、そのほかの庫内からも金繡(キンシウ)綾羅(レウラ)、珠翠(シユスヰ)珍宝(チンポウ)、山を崩して運ぶ如く、続々と城外へ積み出された。
王允は、長安から命を下して
「総(すべ)て、長安へ移せ」と、いひつけた。
又、穀倉の処分は、
「半(なかば)を百姓に施し、半は官庫に納むべし」
と、命令した。
その米粟の額も八百万石といふ大量であつた。
長安の民は賑はつた。
董卓が殺されてからは、天の奇瑞か、自然の暗合か、数日の黒霧も明らかに霽(は)れ、風は熄(や)んで地は和やかな光に盈(み)ち、久しぶりに昭々たる太陽を仰いだ。
「これから世の中がよくならう」
彼等は、他愛なく歓び合つた。
城内、城外の百姓町人は、老も若きも、男も女も祭日のやうに、酒の瓶を開き、餅を作り、軒に彩聯(サイレン)を貼り、神に燈明を灯し、往来へ出て、夜も昼も舞ひ謡(うた)つた。
「平和が来た」
「善政がやつて来よう」
「これから夜も安く眠られる」
そんな意味の詞(ことば)を、口々に唄ひ囃(はや)して、銅鑼をたゝいて廻つた。
すると彼等は、街頭に曝(さら)してあつた董卓の死骸に群れ集まつて
「董卓だ/\」と、騒いだ。
「けふ迄(まで)、おれ達を苦しめた張本人」
「あら憎や」
首は足から足へ蹴とばされ、又、首のない屍の臍(へそ)に蠟燭を燈(とも)して手をたゝいた。
生前人いちばい肥満してゐた董卓なので、膏(あぶら)が煮えるのか、臍の燈明は、夜もすがら燃えて、朝になつてもまだ消えなかつたといふ事である。
又。
董卓の弟の董旻(トウビン)、兄の子の董璜(トウクワウ)のふたりも、手足を斬られて、市に曝された。
李儒は、董卓のふところ刀と、日頃から憎しみも一倍強くうけてゐた男なので、その最期は誰よりも惨たるものだつた。
かうして、一(ひと)先(ま)づ誅滅も片づいたので、王允は一日、都堂に百官をあつめて慶(よろこ)びの大宴を張つた。
するとそこへ、一人の吏が、
「何者か、董卓の腐つた屍を抱いて、街路に嘆いてゐる者があるさうです」
と、告げて来たので、すぐ引つ捕へよと命じると、やがて縛られて来たのは、侍中(ジチユウ)蔡邕(サイヨウ)であつたから人々はみな吃驚(びつくり)した。
蔡邕は、忠孝両全の士で、また曠世の逸才といはれる学者だつた。だが、彼もたゞ一つ大きな過ちをした。それは董卓を主人に持つた事である。
人々は、彼の人物を惜(をし)んだが、王允は獄に下して、免(ゆる)さなかつた。そのうちに何者かの為(ため)に、獄の中で縊(し)め殺されてしまつた。彼ばかりか、かういふ惜むべき人間も又、幾多犠牲になつたことか知れないであらう。
***************************************
次回 → 人間燈(にんげんとう)(六)(2024年5月11日(土)18時配信)