第一回 → 黄巾賊(一)
前回はこちら → 人間燈(にんげんとう)(二)
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禁門の掟なので、董卓も、儀仗の兵士をすべて、北掖門に止(とゞ)めて、そこから先は、二十名の武士に車を押させて、禁廷へ進んだ。
「やつ?」
董卓は、車の内でさけんだ。
見れば、王允と黄琬の二人が、剣を執つて、殿門の両側に立つているではないか。
彼は、何か異様な空気を感じたのであらうm突然、
「李粛々々。——彼等が、抜剣して立つているのは如何(いか)なるわけか」
と、呶鳴つた。
すると、李粛は車の後(うしろ)で、
「されば、閻王(エンワウ)の旨(むね)に依(よ)り、太師を冥府へ送らんとて、はや迎へに参つてゐるものと覚えたりつ」
と、大声で答へた。
董卓は、仰天して、
「な、なんぢやと?」
膝を起さうとした途端に、李粛は、それつと懸声して、彼の車をぐわら/\と前方へ押し進めた。
王允は、大音あげて、
「郿塢の逆臣が参つたり。出(い)でよつ、武士共つ」
声を合図に——
「おうつ」
「わあつ」
馳け集まつた御林軍の勇兵百餘人が、車を顚覆(くつが)へして、董卓を中からひきずり出し
「賊魁ツ」
「この大奸」
「うぬつ」
「天罰」
「思ひ知れや」
無数の戟(ほこ)は、彼の一身へ集まつて、その胸を、肩を、頭を滅多打ちに突いたり斬り下げたりしたが、かねて要心ぶかい董卓は、刃も貫(とほ)さぬ鎧や肌着に身をかためてゐたので、多少血しほにはまみれても猶(なほ)、致命傷には至らなかつた。
巨体を大地に転(まろ)ばせながら、彼はその間に絶叫を放つてゐた。
「——呂布ツ、呂布ツ。——呂布はあらざるかつ、義父(ちち)の危難を助けよ」
すると、呂布の声で、
「心得たり」
と、聞えたと思ふと、彼は画桿(グワカン)の大戟(おほほこ)をふりかぶつて、董卓の眼前に躍り立ち、
「勅命によつて逆賊董卓を討つ」
と、喚(をめ)くや否(いな)、真つ向から斬り下げた。
黒血は霧のごとく噴いて、陽も曇るかと思はれた。
「うツ……むつ。……おのれ」
戟はそれて、右の臂を根元から斬り落したにすぎなかつた。
董卓は、朱にそまりながら、はつたと呂布をにらんで、まだ何か叫ばうとした。
呂布は、その胸元をつかんで、
「悪業のむくいだ」
と罵りざま、ぐざと、その喉(のんど)を刺し貫いた。
禁廷の内外は、怒濤のやうな空気につゝまれたが、軈(やが)て、それと知れ渡ると、
「万歳つ」
と、誰からともなく叫び出し、文武百官から厩(うまや)の雑人や、衛士にいたるまで、皆万歳々々を唱へ合ひ、その声、その動(ど)揺(よ)めきは、小半刻ほど鳴りも熄(や)まなかつた。
李粛は、走つて、董卓の首を打落し、剣尖に刺して高く掲(かゝ)げ、呂布はかねて王允から渡されてゐた詔書をひらいて、高臺に立ち
「聖天子のみことのりに依(よ)り、逆臣董卓を討ち終んぬ。——その餘は罪なし悉(こと/゛\)くゆるし玉(たま)ふ」
と、大音で読んだ。
董卓、ことし五十四歳。
千古に記すべきその日その年、将(まさ)に漢の献帝が代の初平三年壬(みづのえ)申(さる)、四月二十二日の真昼だつた。
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次回 → 人間燈(にんげんとう)(四)(2024年5月9日(木)18時配信)