第一回 → 黄巾賊(一)
前回はこちら → 天颷(てんぺう)(三)
***************************************
ふたりの密謀を聞くと、李粛は手を打つて、
「よく打明けて下すつた。自分も久しく董卓を討たんと窺(うかゞ)つてゐたが、滅多に心底を語る者もないのを恨みとしてゐた所でした。善(よい)哉(かな)善哉、これぞ天の助といふものだらう」
と喜んで、即座に、誓ひを立てて荷担した。
そこで三名は、万事を諜(しめ)しあはせて、その翌々日、李粛は二十騎ほど従へて郿塢の城へ赴き、
「天子、李粛を以(もつ)て、勅使として降し給(たま)ふ」
と、城門へ告げた。
董卓は、何事かと、直に彼を引いて会つた。
李粛は恭(うや/\し)く、拝をなして、
「天子に於(お)かれては、度々の御不豫のため、遂(つひ)に、太師へ御位(みくらゐ)を譲りたいと御決意なされました。どうか天下の為、速(すみやか)に大統をおうけあつて、九五の位にお昇りあるやう。今日の勅使は、その御内詔をお伝へに参つたわけです」
さう云つて、じつと董卓の面を見てゐると、つゝみきれぬ歓(よろこ)びに、彼の老顔がぱつと紅くなつた。
「ほ。……それは意外な詔だが、併(しか)し、朝臣の意向は」
「百官を未央殿(ビアウデン)にあつめ給ひ、僉議(センギ)も相すみ、異口同音、万歳をとなへて、一決いたした結果です」
聞くと、董卓は、いよ/\眼を細めて、
「司徒王允は、何といつてをるかの」
「王司徒は、よろこびに堪へず、受禅臺を築いて、早くも、太師の即位を、御待ちしてゐるふうです」
「そんなに早く事が運んでゐるとは驚いた。はゝゝ。……道理で思ひ当ることがある」
「何ですか。思ひ当る事とは」
「先頃、夢を見たのぢや」
「夢を」
「むむ。巨龍雲を起して降り、この身に纏(まと)ふと見て目がさめた」
「さてこそ、吉瑞です。一刻も早く、車を御用意あつて、朝へ上り、詔をおうけなされたがよいと思ひます」
「この身が帝位に即(つ)いたら、そちを執金吾に取立てゝ得させよう」
「必ず忠誠を誓ひます」
李粛が、再拝してゐるまに、董卓は、侍臣へ向つて、車騎行装の支度を命じた。
そして彼は、馳けこむやうに、貂蟬の住む一閣へ行つて、
「いつか、そなたに云つた事があらう。わしが帝位に昇つたら、そなたを貴妃として、此世の栄華を尽させんと。たうとうその日が来た」
と、早口に云つた。
貂蟬は、チラと、眼をかゞやかしたが——すぐ無邪気な表情をして、
「まあ。ほんとですか」
と、狂喜してみせた。
董卓は又、後堂から母をよび出して、事の由(よし)をはなした。彼の母はすでに年九十の餘であつた。耳も遠く、眼もかすんでゐた。
「……なんじや。俄(にはか)に、どこへ行くといふのかの」
「参内して、天子の御位をうけるのです」
「誰がの?」
「あなたの子がです」
「おまへがか」
「御老母。あなたも、いゝ倅(せがれ)を持つたお蔭で、近いうちに、皇太后と敬はれる身になるんですぞ。嬉しいと思ひませんか」
「やれやれ。煩(わづら)はしいことだなう」
九十餘歳の老媼(ラウヲウ)は、上唇を顫(ふる)はせて、むしろ悲しむが如く、天井を仰いだ。
「あはゝゝ、張合(はりあひ)のないものだな」
董卓は、嘲(あざけ)りながら、濶歩して一室へかくれ、やがて盛装を凝(こら)して車に打乗り、数千の精兵に前後を護られて郿塢山を降つて行つた。
***************************************
次回 → 人間燈(にんげんとう)(一)(2024年5月6日(月)18時配信)
なお、日曜日については夕刊が休刊のため、配信はありません。