第一回 → 黄巾賊(一)
前回はこちら → 天颷(てんぺう)(二)
***************************************
呂布の帰りを門まで送つて出ながら、王允は、そつと囁いた。
「将軍、けふの事は、ふたりだけの秘密ですぞ。誰にも洩らして下さるな」
「元よりの事だ。だが大事は、二人だけでは出来ないが」
「腹心の者には明かしてもいゝでせう。しかし、この後は、いづれ又、密(ひそか)にお目にかゝつて相談しませう」
赤兎馬に跨つて、呂布は帰つて行つた。王允は、その後姿を見送つて、
——思ふつぼに行つた。
と独り北(ほく)叟(そ)笑(ゑ)んでゐた。
その夜、王允は直(たゞち)に、日頃の同志、校尉(カウヰ)黄琬(クワウヱン)、僕射士(ボクシヤシ)孫瑞(ソンズヰ)の二人を呼んで、自分の考へをうちあけ、
「呂布の手を以(もつ)て、董卓を討たせる計略だが、それを実現するに、何かよい方法があるまいか」
と、計つた。
「いゝ事があります」
と、孫瑞が云つた。
「天子には、先頃から御不豫でしたが、漸(やうや)く、この頃御病気も癒(い)えました。就(つい)ては、詔(みことのり)と称し、偽(にせ)の勅使を郿塢の城へ遣はして、かう云はせたらよいでせう」
「え。偽勅の使(つかひ)を?」
「されば、それも天子の御為ならば、お咎めもありますまい」
「そして何(ど)う云ふのか」
「天子のおことばとして——朕病弱のため帝位を董太師に譲るべしと、偽(いつはり)の詔を下して彼を召されるのです。董卓はよろこんで、すぐ参内するでせう」
「それは、餓虎に生餌(いきゑ)を見せるやうなものだ。すぐ跳びついてくるだらう」
「禁門に力ある武士を大勢伏せおいて、彼が参内する車を囲み、有無をいはせず誅戮してしまふのです。——呂布にそれをやらせれば、万に一つも遁(のが)す気遣ひはありません」
「偽勅使には誰をやるか」
「李粛が適任でせう。私とは同国の人間で、気性も分つてゐますから、大事を打明けても、心配はありません」
「騎都尉の李粛か」
「さうです」
「あの男は、以前、董卓に仕えてゐた者ではないか」
「いや、近頃勘気をうけて、董卓の扶持(フチ)を離れ、それがしの家に身を寄せてゐます。何か、董卓にふくむ事があるらしく、怏々(ワウ/\)として浮かない日を過してゐる所ですから、欣(よろこ)んでやりませうし、董卓も、以前目をかけてゐた男だけに、勅使として来たといへば、必ず心をゆるして、彼の言を信じませう」
「それは好都合だ。早速、呂布に通じて、李粛と会はせよう」
王允は、翌晩、呂布をよんで、云々(しか/゛\)と、策を語つた。——呂布は聞くと、
「李粛なら自分もよく知つてゐる。そのむかし赤兎馬をわが陣中へ贈つて来て、自分に、養父の丁建陽を殺させたのも、彼のすゝめであつた。——もし李粛が、嫌(いや)の何のと云つたら、一刀の下に斬りすてゝしまふ」
と、云つた。
深夜、王允と呂布は、人目をしのんで、孫瑞の邸(やしき)へゆき、そこに食客となつてゐる李粛に会つた。
「やあ、しばらくだなあ」
呂布はまづ云つた。李粛は、時ならぬ客に驚いて啞然としてゐた。
「李粛。貴公もまだ忘れはしまいが、ずつと以前、おれが養父丁原と共に、董卓と戦つてゐた頃、赤兎馬や金銀をおれに送り、丁原に叛(そむ)かせて、養父を殺させたのは、慥(たし)か貴公だつたな」
「いや、古い事になりましたね。けれど一体、何事ですか、今夜の突然のお越しは」
「もう一度、その使(つかひ)を、頼まれて貰(もら)ひたいのだ。併(しか)し、こんどは、おれから董卓の方へ遣(や)る使だが」
呂布は、李粛のそばへ、摺(す)り寄つた。そして、王允に仔細を語らせて、もし李粛が不承知な顔いろを現したら、即座に斬つて捨てんと密かに剣を握りしめてゐた。
***************************************
次回 → 天颷(てんぺう)(四)(2024年5月4日(土)18時配信)