第一回 → 黄巾賊(一)
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両軍の戦ふおめき声は、暁になつて、漸(やうや)くやんだ。
何分この夜の激戦は、双方とも何の作戦も統御もなく、一波が万波をよび、混乱が混乱を招いて、闇夜に入り乱れての乱軍だつたので、夜が明けてみると、相互の死傷は驚くべき数にのぼつてゐた。
劉表の軍勢は、城内にひきあげ、呉軍は漢水方面にひき退(しりぞ)いた。
孫堅の長男孫策は漢水に兵をまとめてから、初めて、父の死を確かめた。
ゆうべから父の姿が見えないので、案じぬいてはゐたがそれでもまだ、どこからか、ひよつこり現れて、陣地へ帰つて来るやうな気がしてならなかつたが、今はその空しい事を知つて声をあげて号泣した。
「この上は、せめて父の屍なりとも求めて厚く弔はう」
と、その遭難の場所、峴山の麓を探させたが、すでに孫堅の死骸は、敵の手に収められてしまつた後だつた。
孫策は、悲痛な声して、
「この敗軍をひつ提(さ)げ、父の屍も敵に奪(と)られたまゝ、何でおめ/\生きて故国(くに)へ帰(か)へられよう」
と、愈々(いよ/\)、慟哭してやまなかつた。
黄蓋は、慰めて、
「いやゆうべ、それがしの手に、敵の一将黄祖といふ者を生(いけ)擒(ど)つてありますから、生ける黄祖を敵へ返して、大殿(おほとの)の屍を味方へ乞ひ請けませう」
と、云つた。
すると、軍吏(グンリ)桓楷(クワンカイ)といふ者があつて、劉表とは、以前の交誼(よしみ)があるとのことなので、桓楷を、その使者に立てた。
桓楷は、たゞ一人、襄陽城に赴いて、劉表に会ひ、
「黄祖と、主君の屍とを、交換してもらひたい」
と、使(つかひ)の旨を告げると、劉表はよろこんで、
「孫堅の死体は、城内に移してある。黄祖を送り返すならば、いつでも屍は渡してやらう」
と、快諾し、又
「この際、これを機会に、停戦を約して、長く両国の境に、ふたゝび乱の起らぬやうな協定を結んでもいゝ」
と、云つた。
使者桓楷は、再拝して
「では、立(たち)帰(かへ)つて、早速その運びをして参りませう」
と、起ちかけると、劉表の側(そば)に在つた蒯良が、やにはに、
「無用、無用」
と、叫んで、主の劉表に向かつて諫言した。
「江東の呉軍を破り尽すのは、今この時です。然(しか)るに、孫堅の屍を返して、一時の平和に安んぜんか、呉軍は、今日の雪辱を心に蓄へて、必ず兵気を養ひ、他日ふたゝびわが国へ仇をなす事は火を見るよりも明(あきら)かなことだ。——よろしく使者桓楷の首を刎(は)ねて、即座に、漢水へ追撃の命をお下しあるやうに望みます」
劉表は、やゝ暫(しばら)く、黙考してゐたが、首を振つて、
「いや/\、わしと黄祖とは、心腹の交(まじは)りある君臣だ。それを見殺しにしては、劉表の面目にかゝはる」
と、蒯良のことばを退けて、遂に屍を与へて、黄祖の身を、城内へ受取つた。
蒯良は、その事の運ばれる間にも、幾度となく、
「無用の将一人をすてゝも、万里の土地を獲(う)れば、いかなる志も後には行ふ事ができるではありませんか」
と、口を酸(すつぱ)くして説いたが、遂に用ひられなかつたので、
「噫(あゝ)、大事去る!」
と、独り長嘆してゐた。
一方、呉の兵船は、弔旗を掲げて、国へ帰り、孫策は、父の柩(ひつぎ)を涙ながら長沙城に奉じて、やがて曲阿(キヨクア)の原に、荘厳な葬儀を執り行つた。
年十六の初陣に、この体験をなめた孫策は、父の業を継ぎ、賢才を招き集めて、ひたすら国力を養ひ、心中深く他日を期してゐるものゝやうであつた。
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次回 → 牡丹亭(一)(2024年4月6日(土)18時配信)