第一回 → 黄巾賊(一)
前回はこちら → 石(一)
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中に、孫堅の声がした。
「敵は、山上に逃げたにちがひない。——何の、これしきの断崖、馬もろ共、乗り上げろつ」
猛将の下、弱卒はない。
孫堅が、馬を向けると後から後から駈けつゞいて来た部下も、どつと、峴山の登りへかゝりかけた。
けれど、足許(あしもと)は暗く、雑草の蔓(つる)と、雪崩(なだ)れやすい土砂に悩まされて、孫堅の馬も、たゞ嘶(いなゝ)くのみだつた。
断崖の上から窺(うかゞ)つてゐた呂公は、今ぞと思つて
「それつ、落せつ、射ろ」
と、山上山下へ、両手を振つて合図をした。
大小の岩石は、一度に、崖の上から落ちて来て、下なる孫堅とその部下三、四十人を埋めてしまふばかりだつた。しかも、あわてゝ遁(のが)れようとすれば、四方の木陰から、凄まじい矢うなり疾風(はやて)が身をつゝむ。
「しまつた!」
孫堅の眼が、二日月を睨んだ。とたんに、彼の頭の上から、一箇の巨大な磐石が降つて来た。
づしんつ——
地軸の揺れるのを覚えた刹那、孫堅の姿も馬も、その下になつてゐた。あはれむべし血へどを吐いた首だけが、磐石の下からわづかに出てゐた。
孫堅、その時、年三十七歳。
初平三年の辛未(かのとひつじ)、十一月七日の夜だつた。巨星は果(はた)して地に墜ちたのだ。夜もすがら万梢(バンセウ)悲々(ヒヒ)と霜風(サウフウ)に震へて、濃き血のにおひと共に夜は暁(あ)けた。
朝陽(あさひ)を見てから、敵も味方も気づいて、騒ぎ出した事だつた。
呂公は、自分の殺した三十餘騎の追手中に、敵の大将がゐようなどゝは、夢にも気がつかなかつたのである。
が——疎林の内に残つてゐた射手の一隊が、夜明けと同時に発見して
「これこそ孫堅だ」
と、その死体を、狂喜して城内へ奪ひ去り、呂公は、連珠砲を鳴らして、城内へ異変を告げた。
寄手の勢も俄(には)かの大変に、その狼狽や動揺は蔽(おほ)ふべくもない。——号泣する者、喪失して茫然たる者、血ばしつて弓よ刀よと騒動する者——兵はみだれ、馬は嘶(いなゝ)き早くも陣の備へはその態を崩しはじめた。
劉表、蒯良など、城内の者は、手を打(うち)叩(たゝ)いて、
「孫堅、洛陽に玉璽を盗んで、まだ二年とも経たぬ間に、はやくも天罰にあたつて、大将にあるまじき末期(マツゴ)を遂げたか。——すはや、この虚を外すな」
黄祖、蔡瑁、蒯越(クワイヱツ)なんどみな一度に城戸(きど)をひらいて、どつと寄手のうちへ衝(つ)いて行つた。
すでに大将を失つた江東の兵は戦ふも力はなく、打たるゝ者数知れなかつた。
漢江の岸に、兵船をそろへてゐた船手方の黄蓋は、逃げくづれて来た味方に、大将の不慮の死を知つて、大いに憤り
「いでや、主君の弔(とむらひ)合戦」
とばかり、船から兵をあげて、折から追撃して来た敵の黄祖軍に当り、入り乱れて戦つたが、怒れる黄蓋は、獅子奮迅して、敵将黄祖を、乱軍のなかに生(いけ)擒(ど)つて、いさゝか鬱憤をはらした。
又。
程普は、堅の子、孫策を扶けて襄陽城外から漢江まで無二無三逃げて来たが、それを見かけた呂公が
「よい獲物」
とばかり孫策を狙つて、追撃して来たので、程普は
「讐(かたき)の片割れ、見捨てゝは去れぬ」
と、引つ返して渡り合ひ、孫策も亦(また)、槍をすぐつて程普を助けたので、呂公は忽ち、馬より斬つて落されて、その首を授けてしまつた。
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次回 → 石(三)(2024年4月5日(金)18時配信)