第一回 → 黄巾賊(一)
前回はこちら → 溯江(ソコウ)(七)
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旋風(つむじかぜ)のあつた翌日である。
襄陽城の内で、蒯良は、劉表のまへに出て、ひそかに進言してゐた。
「きのふの天変は凡事(たゞごと)ではありません。お気づきになりましたか」
「ムヽ。あの狂風か」
「昼の狂風も狂風ですが、夜に入つて、常には見ない熒星(ケイセイ)が、西の野へ落ちました。按(アン)ずるに将星地に墜つの象(かたち)、正に、天文が何事かを訓(をし)へてゐるものです」
「不吉を申すな」
「いや。味方に取つては、憂ふべき事ではありません。むしろ、壇を設けて祭つてもいゝ位です。方を図るに、凶兆は敵孫堅の国土にあります。——機を外さず、この際、袁紹が方へ人を遣はして、援助を乞はれたら、寄手の敵は四散するか、退路を断たれて袋の鼠となるか、二つに一つを選ばねばならなくなるでせう」
劉表は、うなづいて、
「誰か、城外の囲みを突破して、袁紹の許(もと)へ使(つかひ)する者はないか」
と、家臣の列へ云つた。
「参りませう」
呂公(ロコウ)は、進んで命をうけた。蒯良は、彼ならばよからうと、人を払つて、呂公に一策を授けた。
「強い馬と、精猛な兵とを、五百餘騎そろへて射手(いて)をその中に交へ、敵の囲みを破つたら、まづ峴山(ケンザン)へ上るがよい。必ず、敵は追撃して来よう。此方はむしろそれを誘つて、山の要所に、岩石や大木を積んで置き、下へかゝる敵を見たら一度に磐石の雨を浴びせるのだ。——射手は敵の狼狽を窺(うかゞ)つて、四林から矢を注ぎかけろ、——さすれば敵は怯(ひる)み、道は岩石大木に邪(さまた)げられ、易々(やす/\)と袁紹のところまで行く事が出来よう」
「成程、名案ですな」
呂公は、勇んで、その夜、密(ひそ)かに鉄騎五百を従へて、城外へ抜けだした。
馬蹄をしのばせて、蕭殺(セウサツ)たる疎林の中を、忍びやかに進んで行つた。万樹すべて葉を震ひ落し、はや冬めいた梢は白骨を植ゑ並べたやうに白かつた。
細い月が懸かつてゐた。——と敵の哨兵(セウヘイ)であらう、疎林の端まで来ると
「誰だつ」
と、大喝した。
どつと、先頭の十騎ばかりが、跳びかゝつて、忽ち五人の歩哨を斬り尽した。
すぐ、そこは、孫堅の陣営だつたから、孫堅は、直(すぐ)に、馳け出して
「今、馳け通つた馬蹄の音は敵か、味方か」
と、大声で訊ねた。
答へはなく、五人の歩哨は、二日月の下に、碧(あを)い血にまみれてゐた。
孫堅は、それを見るなり
「やつ。さては」
と、直覚したので、馬にとび乗るが早いか、味方の陣へ
「城兵が脱出したぞつ。——われにつゞけつ」
と、呼ばはつて、自身まつ先に呂公の五百餘騎を追ひかけて行つた。
急なので、孫堅の後からすぐ続いた者は、漸(やうや)く、三、四十騎しかなかつた。
先の呂公は振(ふり)顧(かへ)つて
「来たぞ、追手が」
かねて計つてゐたことなので、驚きもせず、疎林の陰へ、射手を隠して、自分等は遮二無二、山上へよぢ登つて行つた。そして敵のかゝりそうな断崖の上に、岩石を積みかさねて、待ちかまへてゐた。
——程なく。
十騎、二十騎、四五十騎と、敵らしい影が、林の中から山の下あたりへ、わウ/\と殺到して、何か口々罵つてゐた。
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次回 → 石(二)(2024年4月4日(木)18時配信)
昭和15年(1940)4月3日(水)に実施された神武天皇祭に伴い、4月4日付夕刊(4月3日配達)は各社申し合わせにより休刊でした。これに伴い、明日4月3日の配信はありません。