第一回 → 黄巾賊(一)
前回はこちら → 溯江(ソコウ)(六)
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【前回迄の梗概】
後漢の霊帝崩御後の乱れに乗じ陳留王を皇帝に擁立した奸臣董卓とこれに対立して河南に兵を挙げた曹操軍の総帥袁紹とは二大勢力であつた。劉備玄徳も義弟関羽、張飛を伴つてこれに参加した。
両軍は汜水関に対陣して雌雄を争つたが劉備等の勇戦により董卓は大敗の末長安に遷都する。焦土と化した洛陽に入った袁紹軍の部将孫堅は図らずも伝国の玉璽を手に入れ袁紹の下を離れて江東に帰る。袁紹の人物に見限をつけた曹操も諸侯等と共に都を去り陽州に帰つて了ふ。洛陽に残つた袁紹は謀を以つて北平の太守公孫瓚を滅さんとし盤河畔に戦ひ劉備等のためさん/゛\敗北するが、勅命により和解、玄徳は平原の相となる。
袁紹の弟で南陽の太守たる袁術は兄を陥れんと呉の孫堅に書を送る。好機逸すべからずと孫堅は兵船五百餘艘を揚子江に浮べ敵将劉表の将黄祖の守る鄧城に向ふ。
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大兵を損じたばかりか、をめをめ逃げ帰つて来た蔡瑁を見ると、初めに、劉表の前で、卑怯者のやうに云ひ負かされた蒯良は
「それみた事か」
と、面罵して怒つた。
蔡瑁は、面目なげに、謝つたが蒯良は
「わが計事(はかりごと)を用ひないで、かういふ大敗を招いたからには、責(せめ)を負ふのが当然である」
と、軍法に照らして、その首を刎(は)ねん——と太守へ申し出た。
劉表は、困つた顔して
「いや今は、一人の命も、〔むだ〕にはできない場合だから」
と、宥(なだ)めて、遂に、彼を斬ることは許さなかつた。
——といふのは、蔡瑁の妹は絶世の美人であつて、近ごろ劉表は、その妹をひどく愛してゐたからであつた。
蒯良も、ぜひなく黙つてしまつた。大義と閨門とはいつも相剋し葛藤する——。が、今は争つてもゐられない場合だつた。
「頼むは、天嶮と、袁紹の救援あるのみ」
と、蒯良は、悲壮な決心で、城の防備にかゝつた。
この襄陽の城は、山を負ひ、水をめぐらしてゐる。
荊州の嶮(ケン)。
と、いはれてゐる無双な要害であつたから、さすが寄手の孫堅軍も、この城下に到ると、攻めあぐんで、漸(やうや)く、兵馬は遠征の疲労と退屈を兆してゐた。
するとある日。
ひどい狂風がふき捲つた。
野陣の寄手は、砂塵と狂風に半日苦しんだ。ところが、どうした事か、中軍に立つてゐる「帥」の文字を繡(ぬひと)つてある将旗の旗竿が、ぽきと折れてしまつた。
「帥」の旗は、総軍の大将旗である。兵はみな不吉な感じに囚(とら)はれた。わけて幕僚たちは眉をくもらせて
「たゞ事ではない」
と、孫堅をかこみ、そして各々口を極めて云つた。
「こゝ戦《いくさ》も捗々(はか/゛\)しからず、兵馬も漸く倦(う)んで来ました。それに、家郷を遠く離れて、はや征野の木々にも冬の訪れが見え出したところへ——朔風(サクフウ)俄(にはか)にふいて、中軍の将旗の旗竿が折れたりなどして、皆不吉な豫感に囚はれてゐます。もうこの辺で、いちど軍をお退(ひ)きになられては如何(いかゞ)でせうか」
すると孫堅は
「わはゝゝ。其方共まで、そんな御幣(ごへい)をかついでゐるのか」
と、哄笑(コウセウ)した。
彼は、気にもかけてゐなかつた。併(しか)し、士気に関する事ではあるから、孫堅も、真面目になつて云ひ足した。
「風はすなはち天地の呼吸である。冬に先立つて、かういふ朔風がふくのは冬の訪れを告げるので旗竿を折るためにふいてきたのではない。——それを怪しむのは人間の惑ひに過(すぎ)ん。もう一押し攻めれば、落(おち)るばかりなこの城だ。掌(て)のうちにある敵城をすてゝ、何でこゝから引つ返していゝものか」
云はれてみれば、道理でもあつた。諸将は二言なく、孫堅の説に服して、又、士気をもり返すべく努めた。
翌日から、寄手はまた、大呼して城へ迫つた。水を埋め、火箭(ひや)鉄砲(テツパウ)をうち浴(あび)せ、軽兵は筏(いかだ)に乗つて、城壁へしがみついた。
併(しか)し、襄陽の城は、頑としてゐた。
霜が降りてくる。
霙(みぞれ)が夜々降る。
蕭々(セウ/\)たる戦野の死屍(シシ)は、いたづらに、寒鴉(カンア)を歓ばすのみであつた。
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次回 → 石(一)(2024年4月2日(火)18時配信)