第一回 → 黄巾賊(一)
前回はこちら → 溯江(ソコウ)(五)
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船手の水軍は、すべて曠野へ上つて、雲の如き陸兵となつた。
鄧城へ逃げこんだ敵の黄祖は、張虎(チヤウコ)、陳生(チンセイ)の両将を翼として、翌日ふたゝび猛烈に撃退しにかゝつて来た。
そして、乱軍となるや、
「孫堅を初め、一人も生かして帰すな」
とばかり、張虎、陳生等は、血眼になつて馳けまはり、孫堅の本陣へ突いて来ると、大音で罵つた。
「汝等、江東の鼠、わが大国を犯して、何を求めるかつ」
聞いて、孫堅は、
「口幅たい草賊めら、あの二人を討て」
と、左右へ下知した。
幕下の韓当は、
「われこそ」
と、刀を舞はして、張虎へ当り、戦ふこと三十餘合、火華は鏘々(シヤウ/\)と、両雄の眸を焦(や)いた。
陳生、それを見て、
「助太刀」
と、呼ばはりながら、張虎を扶(たす)けて韓当を挟み撃ちに苦しめた。
さしもの韓当もすでに危しと見えた時である。——父孫堅の傍らにあつた孫策は、従者の持つてゐた弓を取りあげて、キリ/\と箭(や)を眦(まなじり)へ当てゝふかく引き絞り、
「おのれ」
と、弦(つる)を切つて放つた。
箭は、ぴゆつと、味方の上を越えて、彼方なる陳生の面に立つた。
陳生は、物凄い叫びをあげて、だうと鞍から転(まろ)び落ちる——
「や、やつ」
張虎は、怖れて、遽(にはか)に逃げかけた。やらじと追ひかけて、韓当はそのうしろから、張虎の盔(かぶと)の鉢上を臨んで重ね討ちに斬りさげた。
——二将すでに討たる!
と聞えて、全軍敗色につゝまれ出したので、黄祖は狼狽して、蜘蛛の子のやうに散る味方の中、馬を打つて逃げ走つた。
「黄祖を擒(と)れ」
「生(いけ)擒(ど)りにせよ」
若武者孫策は、槍をかゝへて彼を追ふこと急だつた。
幾たびか、孫策の槍が、彼のすぐ後(うしろ)まで迫つた。
黄祖は、盔も捨て、遂には、馬までおりて、徒歩(かち)の雑兵たちの中へまぎれこんで、危くも、一つの河を渉(わた)り、鄧城の内へ逃げ入つた。
この一戦に、荊州の軍勢はみだれて、孫堅の旗幟(キシ)は十方の野(ヤ)を圧した。
孫堅は、直(たゞち)に、漢水まで兵をすすめ、一方、船手の軍勢を、漢江に屯(たむろ)させた。
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「黄祖が大敗しました」
早馬の使(つかひ)から、次々、敗報うけて、劉表は色を失つてゐた。
蒯良といふ臣が云つた。
「この上は、城を固めて、一方、袁紹へ急使を遣はし、救ひをお求めなされるがよいでせう」
すると、蔡瑁(サイバウ)は、
「その計、拙(つたな)し」
と反対して
、「敵すでに城下に迫る。何で手をつかねて生死を他国の救ひに待たうぞ。それがし不才なれど、城を出て、一戦を試みん」
と豪語した。
劉表も、それを許した。
蔡瑁は、一万餘騎をひきゐて、[襄]陽城を発し、峴山(ケンザン)(湖北省・襄陽の東)まで出て陣を張つた。
孫堅は、各所の敵を席捲して、着々戦果を収めて来た勢ひで、又忽ち、峴山の敵も撃破してしまつた。
蔡瑁は、口ほどもなく、みじめな残兵と共に、襄陽城へ逃げ帰つて来た。
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次回 → 溯江(そこう)(七)(2024年4月1日(月)18時配信)
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