第一回 → 黄巾賊(一)
前回はこちら → 溯江(ソコウ)(三)
***************************************
「舎弟か、——やあ大勢で揃つて来たな。明日は出陣だ。みんなして門出を祝ひに来たか」
孫堅は、上機嫌だつた。
弟の孫静は
「いや兄上」
と、改まつて、
「貴郎(あなた)の御子(おこ)達(たち)を伴(つ)れて、かう皆して参つたわけは、御出戦をお諫めに来たので、お祝ひを述べに来たのではありません」
「何。諫めに?」
「はい。もし大事なお身に、間違ひでもあつたら、この大勢の公達(きんだち)や姫たちは、何(ど)うなされますか。この御子達の母たる呉夫人も、呉姫も、兪美人も、どうか思ひ止まつて下さるやうと、私を通じてのお縋(すが)りです」
「ばかを云へ、この期になつて——」
「でも、敗れて後、戟(ほこ)を収めるよりはましでせう」
「不吉な事を申すな」
「すみません、然(しか)し兄上、これが、天下の乱に臨んで億民の救生に起つといふ戦なら、私はお止めいたしません。たとへ三夫人と七人の御子がいかにお嘆きにならうとも、孫静が先に立つて御出戦を敬します。——けれどこんどの軍(いくさ)は、私怨です。自我の小慾と小義です。その為、兵を傷(きづつ)け、百姓を苦しめるやうなお催しは、絶対に、お見合せになつたはうがよいと考へられますが」
「だまれ、おまへや女子供の知つた事ぢやない」
「いや、さう仰つしやつても」
「黙らぬかつ。——汝は今、名分のない戦と云つたが、誰か、孫堅の大腹中を知らんや。おれにも、救世治民の大望はある。見よ、今に天下を縦横して、孫家の名を重からしめてみせるから」
「噫(あゝ)」
孫静は遂(つひ)に、黙つてしまつた。
すると、呉夫人の子の長男孫策は、ことし紅顔十七歳の美少年だつたが、つか/\と前へ進んで、
「お父上が出陣なさるなら、ぜひ私も連れて行つてください。七人の兄弟のうちでは、私が年上ですから」
と、云つた。
苦りきつてゐた孫堅は、長男の健気なことばに、救はれたやうに機嫌を直した。
「よく云つた。幼少からそちは兄弟中でも、英気優れ、物の役にも立つ子と、わしも見込んでゐただけのものはあつた。明日、わしの立つ迄(まで)に、身仕度をしてをるがよい」
孫堅は、更に、大勢の子と、弟とを見まはして、
「次男の孫権は、叔父御の孫静と心を協(あは)せて、よく留守を護つてをれよ」
と、云ひ渡した。
次男の孫権は、
「はい」
と、明瞭に答へて、父の面に、じつと袂別(ベイベツ)を告げてゐた。
孫策の母の呉夫人は、叔父と共に諫めに行つた長男が、かへつて父に従(つ)いて戦に征(ゆ)くと聞いて、
「とんでもない。彼(あ)の子を呼んでおくれ」
と、侍女を迎へにやつたが、それがまだ夜も明けない頃だつたのに、長男の孫策は、もう城中にゐなかつた。
孫策は、もし母が聞いたら、必ず止めるであらうと、豫(あらか)じめ察してゐたし、又、彼は鷹の子の如く俊敏な気早な若武者でもあつたから、父の出陣の時刻も待たず、
「われこそ一番に」
と、まだ暗いうちに大江の畔(ほとり)へ出て、早くも軍船の一艘に乗込み、真つ先に船をとばして、敵の樊城(ハンジヤウ)へ攻めかゝつてゐたのであつた。
***************************************
次回 → 溯江(そこう)(五)(2024年3月29日(金)18時配信)