第一回 → 黄巾賊(一)
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こゝは揚子江支流の流域で、城下の市街は、海のやうな太湖(タイコ)に臨んでゐた。孫堅のいる長沙城(湖南省)はその水利に恵まれて、文化も兵備も活発だつた。
程普は、その日旅先から帰つて来た。
ふと見ると、大江の岸には凡(およ)そ四、五百艘の軍船が並んで夥(おびたゞ)しい食糧や武器や馬匹などをつみこんでゐるので吃驚(びつくり)した。
「いつたい、何処(どこ)にそんな大戦が起るといふのか」
従者をして、船手方の者に糺(たゞ)してみると、よく分らないが、孫堅将軍の命令が下り次第に、荊州(揚子江沿岸)の方面の戦争にゆくらしいとの事だつた。
「はてな」
程普は遽(にはか)に、私邸へ帰るのを見合せて、途中から登城した。そして同僚の幕将たちにわけを聞いて愈々(いよ/\)驚いた。
彼はさつそく太守の孫堅に謁して、その無謀を諫めた。
「承れば、袁術と諜(しめ)し合わせて、劉表、袁紹を討たうとの軍備ださうですが、一片の密書を信じて、彼と運命を共にするのは、危い限りではありますまいか」
孫堅は、笑つて、
「いや程普、それくらゐな事は、自分も心得てをるよ。袁術は元より詐(いつは)り多き小人だ。——然(しか)し、余は彼の力を恃(たの)んで兵を興すのではない。自分の力をもつてするのだ」
「けれど、兵を挙げるには、正しい名分がなければなりません」
「袁紹は先に、洛陽に於て、わしをあのやうに恥かしめたではないか。又、劉表はそのさしづをうけて、余の軍隊を途中で阻み、さんざんにこの孫堅を苦しめた。今、その恥と怨みとを雪(そゝ)ぐのだ」
程普も、それ以上、諫言のことばもなく、自ら又すゝんで軍備を督励した。
吉日をえらんで、五百餘艘の兵船は、大江を発するばかりとなつた。——早くもこの沙汰が、荊州の劉表へ聞えたので、劉表は、
「すはこそ」
と、軍議を開いて、その対策を諸将にたづねた。
時に、蒯良(クワイリヤウ)という一将がすゝみ出て、意見を吐いた。
「何も驚き騒ぐほどな敵ではありません。よろしく江夏(カウカ)城の黄祖(クワウソ)をもつて、要害をふせがせ、荊州襄陽(ジヤウヤウ)の大軍をこぞつて、後軍に固く備へおかれゝば、大江を隔てゝ孫堅もさして自由な働きはできますまい」
人々も皆、
「尤(もつと)もな説」
と、同意して、国中の兵力をあつめ、それ/゛\防備の完璧を期してゐた。
湖南の水、湖北の岸、揚子江の流域は漸(やうや)く波さはがしい兆(きざし)をあらはした。
偖(さて)、ここに。
孫堅方では、その出陣にあたつて、閨門(ケイモン)の女性やその子達をめぐつて、家庭的な一波紋が起つてゐた。
彼の正室である呉氏の腹には、四人の子があつた。
長男の孫策(ソンサク)、字は伯符(ハクフ)。
第二子孫権(ソンケン)、字は仲謀(チウボウ)。
第三男、孫翊(ソンヨク)。
第四男、孫匡(ソンキヤウ)。
などの男ばかりだつた。
又、呉氏の妹にあたる孫堅の寵姫(チヤウキ)からは、孫朗(ソンラウ)という男子と、仁(ジン)といふ女子との二人が生れてゐた。
又、兪氏(ユシ)という寵妾(チヤウシヤウ)にも、ひとりの子があつた。孫韶(ソンセウ)、字は公礼(コウレイ)である。
——明日は出陣。
と聞えた前夜のこと。その大勢の子等をひきゐて、孫堅の弟孫静(ソンセイ)は、何か改まつて、兄孫堅の閣へたづねて来た。
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次回 → 溯江(そこう)(四)(2024年3月28日(木)18時配信)