第一回 → 黄巾賊(一)
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戦ひ終つて。
公孫瓚は、劉玄徳を、陣に呼び迎へ、
「けふ危機に、一命を拾ひ得たのは、まつたく御辺のお陰であつた」
と、深く謝して、又、
「先にも、自分の危い所を、折よく救つてくれた一偉丈夫がある。御辺とはきつと心も合ふだらう」
と、趙子龍を迎へにやつた。
子龍は、すぐ来て、
「何か御用ですか」
と、云つた。
公孫瓚は、
「この人物です」
と、玄徳へ紹介して、けふの激戦で目ざましい働きをした子龍の用兵の上手さや、その人〔がら〕を、口を極めて称(たゝ)へた。
子龍は、大いに羞恥(はぢら)つて、
「太守、それがしを召し置いて、知らぬ人の前なのに、さうお揶揄(からか)ひになるものではありません。穴でもあらば、隠れたくなります」
と、謙遜した。
星眸(セイバウ)濶面(クワツメン)の見るからに威容堂々たる偉丈夫にも、童心のやうな羞恥のあるのをながめて、玄徳は思はずほゝ笑んだ。
その笑みを見て、趙子龍も、
「やあ」
ニコと、笑つた。
玄徳の和やかな眸。
彼の秋霜のやうな眼光。
それが、初めて相見て、笑みを交(かは)したのであつた。
公孫瓚は、玄徳をさして、
「こちらが、劉備玄徳といつて、けふ平原から馳けつけて、自分を扶(たす)けてくれた恩人だ。以前から誼(よし)みを持つて、お互(たがひ)に扶け合つてきた友人ではあるが」
と、姓名を告げると、趙子龍は、非常に驚いて、
「では、かね/゛\噂に聞いてゐた関羽、張飛の二豪傑を義弟(おとと)に持つてをられる劉玄徳と仰(おほ)せられるのは貴郎(あなた)でありましたか。——これは計らずも、よい折に」
と、機縁を欣(よろこ)んで、
「それがしは、常山真定の生れで、趙雲、字は子龍とまうす者。仔細あつて公太守の陣中にとゞまり、微功を立てましたが、まだ若輩の武骨者にすぎません。どうぞ将来、よろしく御指導ください」
と、辞を低うして、慇懃なあいさつをした。
玄徳も、
「いや、御丁寧に、恐縮な御あいさつです。自分とてもまだ飄々たる風雲の一(イチ)槍夫(サウフ)。一片の丹心ある他は、半国の土地も持たない若年者です。私のはうからこそ、よろしく御好誼を希(ねが)ひます」
二人は、相見た一瞬に、十年の知己のやうな感じを持つた。
玄徳は、ひそかに、
(これはよい人物らしい。尋常(よのつね)の武骨ではない)
と、心中に頼もしく思ひ、趙雲子龍も、同じやうに、
(まだ若いやうだが、かねて噂に聞いてゐた以上だ。この劉玄徳といふ人こそ、将来ある人傑ではあるまいか。——主君と仰ぐならば、このやうな人をこそ)
と、心から尊敬を抱いた。
玄徳も、子龍も、ふたり共に客分といつたやうな格で、公孫瓚に取つては、その点、すこし淋しい気もしたが、然(しか)し、二人を引合はせて、彼も共に欣(うれ)しい気がした。
玄徳には、後日の賞を約し、子龍には自分の愛馬——銀毛(ギンマウ)雪白(セツパク)な一頭を与へて、又の戦ひに、協力を励まして別れた。
子龍は、拝領の白馬に跨(また)がつて、わが陣地へ帰つて行つたが、意中に強く印象づけられたものは、公孫瓚の恩ではなく、玄徳の風貌だつた。
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次回 → 溯江(そこう)(一)(2024年3月25日(月)18時配信)
なお、日曜日については夕刊が休刊のため、配信はありません。