第一回 → 黄巾賊(一)
前回はこちら → 白馬将軍(四)
***************************************
深入りした味方が、趙子龍のために粉砕されたとはまだ知らない——袁紹であつた。
盤河橋をこえて、陣を進め、旗下三百餘騎に射手百人を左右に備へ立て、大将田豊と駒をならべて、
「どうだ田豊。——公孫瓚も口ほどのものでもなかつたぢやないか」
「さうですな」
「白馬二千を並べたところは、天下の偉観であつたが、ぶツつけてみると一堪(たま)りもない。旗を河へ捨て、大将の厳綱を打たれ、何たる無能な将軍か。おれは今まで彼を少し買ひかぶつて居つたよ」
云つている所へ、俄雨(にはかあめ)のやうに、彼の身のまはりへ敵の矢が集まつて来た。
「や、や、やつ」
袁紹は、あわてゝ、
「何処にゐる敵が射て来るのか」
と、急に備へを退(ひ)いて、楯(たて)囲(がこ)ひの中へかけ込まうとすると、
「袁紹を討つて取れ」
とばかり、趙雲の手勢五百が、地から湧いたやうに、前後から攻めかゝつた。
田豊は、防ぐに遑(いとま)もなく、餘りに迅速な敵の迫力にふるひ恐れて、
「太守々々、こゝにゐては、流れ矢に中(あ)たるか、生(いけ)擒(ど)られるか、滅亡をまぬかれません。——あれなる盤河橋の崖の下まで退いて、暫(しばら)くお潜みあるがよいでせう」
袁紹は、後(うしろ)を見たが、後も敵であつた。しかも、敵の矢道は、縦横に飛び交つてゐるので、
「今は」
と、絶体絶命を観念したが、いつになく奮然と、着たる鎧を地に脱ぎ捨て、
「大丈夫たるもの、戦場で死ぬのは本望だ。物陰にかくれて流れ矢になど中(あ)たつたらよい物笑ひ。何ぞ、この期(ゴ)に、生きるを望まん」
と、叫んだ。
身軽となつて真つ先に、決死の馬を敵中へ突き進ませ、
「死ねや、者共」
とばかり力闘したので、田豊もそれに従ひ、他の士卒もみな獅子奮迅して戦つた。
かゝる所へ逃げ崩れて来た顔良、文醜の二将が、袁紹と合体して、こゝを先途(センド)と鎬(しのぎ)を削つたので、さしも乱れた大勢を、ふたゝび盛り返して、四囲の敵を追ひ、更に勢に乗つて、公孫瓚の本陣まで迫つて行つた。
この日。
両軍の接戦は、実に、一勝一敗、打ちつ打たれつ、死屍は野を埋め、血は大河を赤くするばかりの激戦で、夜明け方から午(ひる)過ぐる頃まで、いづれが勝つたとも敗れたとも、乱闘混戦を繰返して、見定めもつかない程だつた。
今しも。
趙雲の働きに依(よ)つて、味方の旗色は優勢と——公孫瓚の本陣では、ほつと一息してゐたところへ、怒濤のやうに、袁紹を真つ先として、田豊、顔良、文醜などが一斉に突入して来たので、公孫瓚は、馬をとばして、逃げるしか策を知らなかつた。
その時。
轟然と、一発の狼煙(のろし)は、天地をゆすぶつた。
碧空(ヘキクウ)をかすめた一抹の煙を見ると、盤河の畔は、みな袁紹軍の兵旗に満ち、鼓を鳴らし、鬨(とき)をあげて、公孫瓚の逃げ路(みち)を、八方から塞いだ。
彼は生きたそらもなかつた。
二里——三里——無我夢中で逃げ走つた。
袁紹は勢(いきほひ)に乗じて急追撃に移つたが、五里餘りも来たかと思ふと、突如、山峡の間から、一(イツ)彪(ペウ)の軍馬が打つて出て、
「待ちうけたり袁紹。われは平原の劉玄徳——」
と、名乗る後から、
「速(すみやか)に降参せよ」
「死を取るや、降伏を選ぶや」
と、関羽、張飛など、平原から夜を日に次いで駆けつけて来し輩(ともがら)が、一度に喚(をめ)きかゝつて来た。
袁紹は、仰天して、
「すはや、例の玄徳か」
と、われがちに逃げ戻り、人馬互(たがひ)に踏み合つて、後には、折れた旗、刀の鞘、兜、槍など、道に満ち散つてゐた。
***************************************
次回 → 白馬将軍(六)(2024年3月23日(土)18時配信)