第一回 → 黄巾賊(一)
前回はこちら → 珠(たま)(四)
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破壊は一挙にそれを為(な)しても、文化の建設は一朝にしては成らない。
又。
破壊までの目標へは、狼煙一つで、結束もし、勇往邁進もするが、さて次の建設の段階にすゝむと、必ずや人心の分裂が起る。
初めの同志は、同志ではなくなつてくる。個々の個性へ返る。意見の衝突やら紛乱が初まる。熱意の冷却が分解作用を呼ぶ。そして第二の段階へ、事態は目に見えぬまに推移してゆくのである。
曹操、袁紹等の挙兵も、今やそこへ逢着して来たのであつた。
当初の理想も今(いま)何処(いづこ)へ。
まづ、その狼煙を最初に揚げて、十八ケ国の諸侯を糾合した曹操自身からまつ先に、袁紹の優柔不断に腹を立てゝ、
(おれは俺でやらう)
を決意したものゝ如く、大勢には勝利を占めながら、残り少き僅(わづか)な手勢と、鬱勃たる不平と、惨心とを抱いて、逸(いち)はやく揚州の地へ去つてしまつた。
又。
廃墟となつた禁門の井戸から、計らずも玉璽を拾つた孫堅は孫堅で、珠を抱くと、忽ち心変りして、袁紹と烈しい喧嘩別れをして、即日、これも本国へさして急いでしまつたが、途上、荊州(ケイシウ)の劉表(リウヘウ)に遮られて、その軍隊はさんざんな傷手をうけ、身をもつて黄河を遁れ渡つた時は——その一舟中に生き残つてゐた者、わづかに、程普と黄蓋などの旗本六、七人に過ぎなかつたといふ——後日の沙汰であつた。
そんな折も折。
東郡の喬瑁と、刺史劉岱とが、又ぞろ洛陽に陣中、兵糧米の借(かり)貸(かし)か何かのつまらない事から喧嘩を起し、劉岱はふいに夜中、対手の陣営へ斬りこんで、喬瑁を斬り殺してしまつた——などゝいふ事件が起つたりした。
諸侯の間でさへそんな状態であつたから、以下の将校や卒伍の乱脈は推して知るべきであつた。
掠奪はやまない。酒は盗む。喧嘩はいつも女や賭博の事から始まつた。——軍律はあれど威令が添はないのである。洛陽の飢民は、夜ごと悲しげに、廃墟の星空を仰いで、
(こんな事なら、まだ前の董相国の暴政のほうが〔まし〕だつた)
と、呟き合つた。
夜となれば人通りもなく、稀々(たま/\)闇に聞えるのは、人肉を喰つて野生に返つた野良犬のさけびか、女の悲鳴ばかりだつた。
「太守、お呼びですか」
劉備玄徳は、一夜ひそかに、公孫瓚の前に立つてゐた。
公孫瓚は、彼に告げた。
「ほかではないが、此頃、つく/゛\諸侯の心や又、総帥袁紹の胸を察するに、どうも面白くないことばかりだ。袁紹には、この後を処理してゆく力がない。要するに彼は無能だ。きつと今に、収拾できない混乱が起ると思ふ」
「はい。……」
「君もさう思ふだらう。君を初め、関羽、張飛などにも、抜群な働きをさせて、何の酬いるところもなくて気の毒だが、一(ひと)先(ま)づ洛陽を去つて、御辺も平原へ帰つてはどうか。——自分も陣を引払つて去らうと考へる」
「さうですか。——いや又、時節がありませう。ではお暇(いとま)いたします」
玄徳は、別れを告げた。
かくて彼は、関羽、張飛のふたりにも、事態をつげて、平原をさして行つた。
洛陽には入つたが、遂(つひ)に、何物も得るところはなく——である。従兵馬装、依然として貧しき元の木阿弥だつた。
けれど、関羽も張飛も、相かはらず朗(ほがら)かなものだつた。馬上談笑して、村へ着けば、時折に酒など買ひ、
「おい、飲まないか。まだおれ達の祝杯は、前途いつの事だか分らないが、生命だけは慥(たしか)に持つて帰れるんだから——少し位は祝つてもよからう。馬上で飲み廻しの旅なんて、洒落(しやれ)てゐるぞ」
などゝ張飛は笑はせて、いつも日々是(これ)好日の態だつた。
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次回 → 白馬将軍(一)(2024年3月16日(土)18時配信)