第一回 → 黄巾賊(一)
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「や、剣に手をかけたな。——汝、この孫堅を斬らうといふ気か」
孫堅が云へば、
「おうつ」
と、袁紹も息(いき)り立つて、
「貴様の如き黄口児(クワウコウジ)に何でこの袁紹が欺かれようぞ。いかに噓を構へても、叛心はもはや歴然だ。成敗して陣門にさらしてくれる」
「何をつ」
孫堅は、云ふより早く剣を抜いた。袁紹も、大剣を払ひ、双方床を蹴つて躍らんとした。
「すはや!」
と、満堂は殺気にみちた。
袁紹が後(うしろ)には、顔良、文醜などの荒武者どもが控へてゐる。——又、孫堅がうしろには程普、黄蓋、韓当などの輩(ともがら)が、
「主人の大事」
と、ばかり各々、剣環を鳴らして騒(ざわ)めき立つた。
洛陽入りの後はこゝに戦ひもなかつた。長陣の鬱気ばらしに、一(ひ)と喧嘩、血の雨も降りさうな時分である。
だが、驚いたのは、満堂の諸侯で、総立ちになつて、双方を押し隔たてた。——日頃、盟(ちかひ)の血をすすり、義を天下に唱へながら、こんな仲間割れの醜態を、世上へ曝したら、民衆の信望は一遍に失墜してしまふに相違ない。義軍の精神は疑はれ、長安へ落ちた董卓軍は、それ見たことか、手を打つて歓ぶにちがひない。
「まあ、まあ、こゝは」
「孫堅も、あれ迄(まで)に、身の潔白を云ひ立ててをるのですから、よもや仮病などではありますまい」
「総帥も、お立場上、自重してくださらなければ困る」
諸侯の仲裁で、やつと、
「では、各々に任すが、孫堅は屹度(きつと)、玉璽を盗んでゐないか。その證(あか)しはどうして見せるか」
袁紹が云ふと、孫堅は、
「われも漢室の旧臣、なんで伝国の玉璽を奪つて謀叛などせんや。——天地神明に誓つて左様なことはない」
と、絶叫した。
その血相に、誰も、
「あれほど云ふからには」
と、信じきつて、仲直りに、杯を挙げて別れたところが、何ぞ計らん、それから一刻も経たないうちに、孫堅の陣地には、もう一兵の影も見えなかつた。
「さては、怪しい?」
と、袁紹も焦(いら)立(だ)ち、諸侯の陣も何となく動揺し出して見えた所へ、前(さき)に董卓を追つて、滎陽で大敗を喫した曹操が、わづかな残兵をひいて、洛陽へ帰つて来た。
袁紹は、折も折とて、彼に計らうと酒宴を設け、諸侯を呼んで、曹操を慰めると、曹操はむしろ憤然として、
「口に大義を唱へても、心に一致する何ものも無ければ、同志も同志ではない。徒(いたづ)らに民を苦しめ、無益の人命と財宝を滅すのみだ。小生はしばらく山野へ帰つて考へ直す。諸氏も、熟慮してみたがよからう」
と、即日、洛陽を去つて楊州(ヤウシウ)の方面へ立つてしまつた。
その頃、孫堅はすでに、ひた走りに本国へさして逃げ帰つてゐた。
途中。
袁紹の追討令で、追手の軍に追はれたり、諸城の太守に遮(はゞ)められたり、散々な憂目(うきめ)に遭つたが、遂(つひ)に黄河のほとりまで逃げのびて、一(イツ)舟(シウ)を拾ひ、辛くも江東へ逃げ渡つた。
舟中の身辺を顧みると、幕下の将兵わづか十数名しかゐなかつた。けれど、彼の懐には伝国の玉璽がまだ失はれずにあつた。
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次回 → 珠(たま)(五)(2024年3月15日(金)18時配信)