第一回 → 黄巾賊(一)
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——一方。
洛陽の焦土に残つた諸侯たちの動静は何(ど)うかといふに。
こゝはまだ濛々と餘燼のけむりに満ちてゐる。
七日七夜も焼けつゞけたが、なほ大地は冷めなかつた。
諸侯の兵は、思ひ/\に陣取つて消火に努めてゐたが、総帥袁紹の本営でも、旧朝廷の建章殿の辺りを本陣として、内裏の灰を掻かせたり、掘りちらされた宗廟に、早速、仮小屋にひとしい宮を建てさせたりして、日夜、戦後の始末に忙殺されてゐた。
「仮宮も出来上つたから、取(とり)敢(あへ)ず、太牢(タイラウ)を供へて、宗廟の祭を営まう」
袁紹は、諸侯の陣へ、使(つかひ)を派して、参列を求めた。
いと粗末ではあつたが、形ばかりの祭事を行つて後、諸侯は連れ立つて、今は面影もなくなり果てた禁門の遠方(をち)此方(こち)を、感慨に打たれながら見廻つた。
そこへ、
「滎陽の山地で、曹操の軍は、敵のため殲滅的な敗北をとげ、曹操はわづかな旗下(はたもと)に守られて河内へ落ちて行つた——」
といふ報(しらせ)が入つた。
諸侯は、顔見合せて、
「あの曹操が……」
とのみで、多くを語らなかつたが、袁紹は、
「それ見たことか」
と、聞えよがしに云つた。
そして又、
「董卓が洛陽を捨てたのは、李儒の献策で、餘力をもちながら、自ら先んじて、都府を抛擲(ハウテキ)したものだ。——それを一万やそこらの小勢で、追(おひ)討(うち)をかけるなど、曹操もまだ若い」
と、その拙(セツ)を嘲笑つた。
半焼となつてゐる内裏の鴛鴦殿で、一同は小盞(セウサン)を酌み交わしてわかれた。
折ふし黄昏(たそが)れかけてきたので、池泉の畔(ほとり)には芙蓉の花が仄(ほの)白く、多恨な夕風に揺れてゐた。
諸侯はみな帰つたが、孫堅は二、三の従者をつれて、猶(なほ)去りがてに、逍遙(セウエウ)してゐた。
「噫(あゝ)……そこらの花陰や泉の汀(なぎさ)で、後宮の美人たちがすゝり泣きしてゐるやうだ。兵馬の使命は、新しい世紀を興すにあるが、創造のまへに破壊が伴ふ。……あゝいかん、多情多恨に囚(とら)はれては」
ひとり建章殿の階(きざはし)に坐つて、星天を仰ぎ、じつと黙思してゐた。
茫(ボウ)——と、白い一脈の白気が、星の光群をかすめてゐた。孫堅は、天文を占つて、
「帝星明(あきら)かならず、星座星環みな乱る。——あゝ乱世はつゞく。焦土はこゝのみには、止(とゞ)まるまい」
と、思はず嘆声をあげた。
すると、階下にゐた彼の郎党のひとりが、
「殿。……なんでせう?」
怪しんで指さした。
「何が?」
孫堅も、眸(ひとみ)をこらした。
「さつきから見てゐますと、この御殿の南の井戸から、時々、五色の光が映(さ)しては消え、映しては消え、暗闇で宝石でも見てゐるやうです。……どうも眼のせゐとも思はれませんが」
「ムム、成(なる)程(ほど)。……さう云はれてみれば、そんな気もする。炬火(たいまつ)をともして、井戸の中を調べてみろ」
「はつ」
郎党たちは馳けて行つた。
程なく、井戸のまはりで翳(かざ)し合ふ炬火が彼方にうごいてゐた。そのうちに、郎党たちが、何か、大声あげて騒ぎ出した様子に孫堅も近づいてそこを覗いてみると、水びたしになつた若い女官の死体が引揚げられてあつた。——すでに日も経てゐるらしいが、その装束も尋常(よのつね)の女性(ニヨシヤウ)とは思はれないし、猶(なほ)、生けるまゝな容貌(かんばせ)は白玕(ハクカン)のやうに美しかつた。
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次回 → 珠(たま)(二)(2024年3月12日(火)18時配信)