第一回 → 黄巾賊(一)
前回はこちら → 洛陽落日賦(六)
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帝陵の丘をあばいて発掘した莫大な重宝を、先に長安へ輸送して任を果し終つた呂布の軍も、一足あとから滎陽の地を通りかけた。
するといきなり彼の軍へ向つて城内から矢石(シセキ)を浴びせかけて来たので
「太守徐英(ジヨエイ)は、相国のため道を開き、帝の御車(みくるま)をお迎へして、こゝに殿軍(しんがり)なすと聞いたので、安心して参つたが、さては裏切したか。その分なれば、踏み潰(つぶ)して押通れ」
と、呂布は激怒して、合戦の備へにかゝつた。
「やあ、呂布であつたか」
城壁の上で声がした。見ると李儒だつた。
「——敵の追手が迫ると聞き、曹操の軍と見ちがへたのだ。怒り給ふな、今、城門をあけるから」
早速、呂布を迎へ入れて仔細を告げて詫びた。
「さうか。では相国には、たつた今落ちのびて行かれたか」
「まだ、この城楼から見えるほどだ。オヽ、彼(あ)れへ行くのがさうだ。見給へ」
と、楼臺に誘つて、彼方の山岳を指さした。
羊腸(ヤウチヤウ)たる山谷の道を、蟻のやうに辿つてゆく車駕や荷駄や大兵の列が見える。
やがてそれは雲の裡(うち)にかくれ去つた。
呂布は、眼を辺りへ移して
「この小城では守るに足らん。李儒、貴公はこゝで曹操の追手を防ぐ気か」
と、たづねた。
李儒は、頭(かうべ)を振つて、
「いやこの城は、わざと敵に与へて敵の気を驕らせるためにあるのだ。殿軍(しんがり)の大兵は、みな後(うしろ)の山谷に伏兵として潜めてある。——足下もこゝにゐては、呂布ありと敵が大事をとつて、かへつて誘ふに困難だから、あの山中へひいて潜んでゐてくれ」
と、云つた。
李儒の謀計を聞いて
「心得た」
呂布も潔く山へかくれた。
かゝる所へ、曹操は一万餘の手勢をひいて、ひたむきに殺到した。
またゝく間に、滎陽城を突破し逃げる敵を追つて、山谷へ入つた。
不案内な山道へ誘ひこまれたのである。しかも猶(なほ)、曹操は
「この分なら、董卓や帝の車駕に追ひつくのも、手間暇はかゝらぬぞ、殿軍の木ツ端共を蹴ちらして追へや追へや」
と、いよ/\意気を昂(あ)げてゐたのであつた。
何ぞ知らん。
鹿を追ふ事を急にして、彼ほどな男も、足許(あしもと)に気づかなかつた。
突如として
四方の谷間や断崖から、鬨(とき)の声が起つたのだ。
「伏勢(フクゼイ)?」
気のついた時は、すでに曹操ばかりでなく、彼の一万餘兵は、まつたく袋の中の鼠になつてゐた。
道を求めんと、雪崩(なだ)れ打てば、断崖の上から大石が落ちて来て道を埋(うづ)め、渓流を渡つて、避けんとすれば、彼方の沢や森林から、雨のごとく矢が飛んで来た。
曹操の軍は、こゝに大敗を遂げた。殲滅的に打ちのめされた。
「彼(あ)れも斃れたか。おゝ、彼れも死んだか」
曹操は、自分の目の前で、死を急いでゆく幕下の者を見ながら、なほ戦つてゐた。
時分はよしと思つたか、呂布は谷ふところの一方から、悠々、馬を乗り出して、彼へ呼びかけた。
「おうつ、驕慢児曹操つ。野望の夢も今醒めたらう。笑止や、主にそむいた亡恩の天罰、思ひ知るがいゝ」
呂布は、死にもの狂ひの曹操を雑兵の囲みにまかせて、自分は小高い所から眺めてゐた。
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次回 → 生死一川(セイシイツセン)(一)(2024年3月6日(水)18時配信)