第一回 → 黄巾賊(一)
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当時、寄手の北上軍のほうでも、こゝ二三日、何となく敵方の動静に、不審を抱いてゐた。
折から、諜報が入つたので、
「素破(すは)や」と、色めき、
「一挙に占(と)れ」
とばかり、国々の諸侯は、われがちに軍をうごかし、汜水関へは、孫堅軍が先の雪辱を遂げて一番に馳入り、虎牢関の方面では、公孫瓚の軍勢に打ち交つて、玄徳、関羽、張飛の義兄弟が、第一番に踏みのぼり、関頭に立つて名乗をあげた。
「おゝ、焼けてゐる!」
「洛陽は火の海だ」
そこに立てば、すでに関中は指顧することができる。
渺茫(ベウバウ)三百餘里が間、地を蔽(おほ)ふものはたゞ黒煙りだつた。天を焦(こが)すものは炎の柱だつた。
——これがこの世の天地か。
一瞬、その悽愴に打たれたが、いづれも入城の先頭をいそいで、十八ケ国の兵は急潮のごとく馳け、前後して洛中へ溢れ入つた。
孫堅は、馬をとばして、まづ先に市中の巡回を開始し、惨たる灰燼に、そゞろ涙を催したが、熱風の裡(うち)から声を励まして、
「火を消せ。消火に努めろ、財物を私するな、逃げおくれた老幼は保護してやれ、宮門の焼址(やけあと)へは歩哨を配置せい!」
と、将兵に下知して、少しも怠るところがなかつた。
諸侯の軍勢も、各々、地を選んで陣を劃したが、曹操は早速、袁紹に会つて忠告した。
「何もお下知が出ないやうですが、この機を外さず、長安へ落ちて行つた董卓を追撃すべきではないでせうか。何で、悠々閑々と、無人の焼址に、腰をすゑてをられるか」
「いや、月餘の連戦で、兵馬はつかれてゐる。すでに洛陽を占領したのだから、こゝで二、三日の休養はしてもよからう」
「焦土を奪(と)つて、何の誇るところがあらう。かゝる間にも、兵は驕り、気は堕(ダ)してくる。弛(ゆる)まぬうちに、疾(と)く追撃にかゝり給へ」
「君は予を奉じた者ではないか。追討(おひうち)にかゝる時には、軍令をもつて沙汰する。徒(いたづ)らに私言を弄(もてあそ)んでは困る」
袁紹は、横を向いてしまつた。
「ちえツ……」
持ち前の気性が、むらむらと曹操の胸へこみあげて来た。一喝、彼の横顔へ、
「豎子(ジユシ)、共に語るに足らん!」
と罵ると、忽ち、わが陣地へ帰つて来て、
「進軍つ。——董卓を追ひ捲(まく)るのだつ」
と、叫んだ。
彼の手勢としては、夏侯淵、曹仁、曹洪などの幕下を初めとして一万餘騎がある。西方長安へさして落ちのびて行つた敵は、財宝の車輛荷駄や婦女子の足手纏(まと)ひをつれ、昏迷狼狽の雪崩(なだ)れを打つて、列伍も作(な)さず、戦意を喪失してゐるにちがひない。
「追へや、追へや。敵はまだ遠くは去らぬぞ」
と、曹操は急ぎに急いだ。
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一方——
帝の車駕を初め夥(おびたゞ)しい洛陽落ちの人数は、途中、行路の難に悩みながら、滎陽(ケイヤウ)まで来て、一息ついてゐた所へ、早くも、
「曹操の軍が追つて来た」
との諜報に、色を失つて、帝を繞(めぐ)る女子たちの車からは悲しげな嗚咽さへ洩れた。
「𤢖(さは)ぐことはありません。相国、こゝの天嶮は、伏兵を蔵(かく)すに妙です」
李儒は、滎陽城のうしろの山岳を指さした。彼はいつも董卓の智慧(チヱ)嚢(ぶくろ)だつた。彼の口が開くと、董卓はそれだけでも心が休まるふうに見えた。
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次回 → 洛陽落日賦(七)(2024年3月5日(火)18時配信)