三国志研究会(全国版)会報

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吉川英治『三国志(新聞連載版)』(153)洛陽落日賦(五)
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吉川英治『三国志(新聞連載版)』(153)洛陽落日賦(五)

昭和15年(1940)3月3日(日)付掲載(3月2日(土)配達)

三国志研究会(全国版)
Mar 02, 2024

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第一回 → 黄巾賊(一)

前回はこちら →  洛陽落日賦(四)

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 同じ日——

 董卓もその私邸官邸を引払ひ、私蔵する財物は、八十輛の車馬に積んで連ね、

「さらば立たうか」

 と、彼も輦(くるま)にかくれた。

 彼にはこの都に、何の惜気もなかつた。元々一年か半年の間に横奪した都府であるから。

 けれど、公卿百官のうちには、長い歴史と、祖先の地に、恋々と涙して、

「あゝ、遂に去るのか」

「長生きはしたくない」

 と、慟哭してゐる老官もあつた。

 その為(ため)、遷都の発足は、いたづらに長引きさうなので、董卓は、李粛を督して、強権を布令(ふれ)させた。

   今朝、寅(とら)の刻(コク)を限つて、

   宮門、離宮、城楼、城門、

   諸官衙(シヨクワンガ)、全市街の一切に

   亘(わた)つて火を放ち、全洛陽

   を火葬に附すであらう。

 といふ命である。

 ひとつは、やがて必ず殺到するであらう袁紹や曹操等の北上軍に対する焦土戦術の意味もある。

 何にしても、急であつた。

 その混乱は、名状しようもない。そのうちに、寅の刻となつた。

 まづ、宮門から火が揚つた。

 紫金殿(シキンデン)の勾欄(コウラン)、瑠璃楼の瓦(かはら)、八十八門の金碧(キンペキ)、鴛鴦池(ヱンアウチ)の珠(たま)の橋、そのほか後宮の院舎、親王寮(シンワウレウ)、議政廟の宏大な建築物など、あらゆる伝統の形見は、炎々たる熱風のうちに見捨てられた。

「幾日燃えてゐるだらうな」

 董卓は、そんな事を思ひながら、この大炎上を後に出発した。

 彼の一族につゞいて、炎の中から、帝王、皇妃、皇族たちの車駕が、哭くがごとく、列を乱して遁(のが)れて来た。

 又、先を争つて、公卿百官の車馬や、後宮の女子たちの輿(こし)や、内官共の馬や財産を積んだ車や、あらゆる人々が——その一人も後に停まる事なく——雪崩(なだ)れ合つて、奔々(ホン/\)と洛陽の外へ吐き出されて行つた。

 又、呂布は。

 かねて、董卓から密々の命をうけてゐて、これはまつたく、別の方面へ出て働いてゐた。一万餘人の百姓や人夫を動員し、数千の兵を督して、前日から、帝室の宗廟の丘に向ひ、代々の帝王の墳墓から、后妃や諸大臣の塚までを、一つ残さず掘り曝(あば)いたのだ。

 帝王の墳墓には、その時代々々の珍宝や珠玉が、どれほど同葬してあるかしれない。皇妃皇族から諸大臣の墓まで数へればたいへんな物である。中には得難い宝剣や名鏡から、大量な朱泥金銀などもある。元より埴輪(はにわ)や土器などには目もくれない。

 これは車輛に積むと数千輛になつた。値にすれば何百億か知れない土中の重宝だつた。

「夜を日に次いで長安へこれを運べ」

 呂布は、兵をつけて、続々とこれを長安へ送り立てると同時に、一方、今なほ虎牢関の守りに残つてゐる味方の殿軍(しんがり)に対して、

「関門を抛棄(ハウキ)せよ」

 と、使(つかひ)をやり、

「疾風の如く、長安まで退け」

 と、命令した。

 殿軍の大将趙岑は、

「長安までとは、どういふ理(わけ)だらう」

 と、怪しんだがともかく関をすてゝ全軍、逃げ来つて見ると、すでに洛陽は炎々たる火と煙のみで、人影もなかつた。

 先に、知らせると、守備の兵が動揺して、遷都の終らぬまに、敵軍が堤(つゝみ)を切つて奔入してくる惧(おそ)れがあるのでわざと間際まで知らせなかつたのであるが、然(しか)し、それほど遷都は早く行はれたのであつた。

 勿論。

 呂布も逸(いち)早く、掘りあばいた帝王陵の坑(あな)を無数に残して、蜂のごとく、西安へ飛び去つてゐた。

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次回 → 洛陽落日賦(六)(2024年3月4日(月)18時配信)

なお、日曜日については夕刊が休刊のため、配信はありません。

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