第一回 → 黄巾賊(一)
前回はこちら → 洛陽落日賦(一)
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「なんだ、夜中」
孫堅は、寝所の帳(とばり)を払つて、腹心の程普にたづねた。
程普は、彼の耳へ、顔を寄せんばかり近寄つて、
「この深夜に、陣門を叩く者がありました。何者かと思へば、敵方の密使二騎で、ひそかに太守にお目にかゝりたいと申しますが」
「何。董卓から?」
孫堅は、意外に思つて、
「ともかく会つてみよう」
と、使者を室へ入れて見た。
生命がけで来た敵の密使は、孫堅のすがたに接すると、懸命な辯をふるつて云つた。
「それがしは、董相国の幕下の一人、李傕といふ者ですが、丞相は常々からふかく将軍を慕つてをられるので、特に、それがしに使いを命ぜられ、長くあなたと好誼(よしみ)を結んでゆきたいとの仰せであります。——それも言辞(ことば)の上や形式だけの好誼でなく、幸(さいはひ)、董相国には妙齢な御息女がありますから、将軍の御子息のお一方を、婿として迎へられ、一門子弟、こと/゛\ごとく郡守刺史に封ぜんとのお旨であります。こんな良縁と、御栄達の機会は、又とあるまいかと存じられますが……」
皆まで聞かぬうちに、
「だまれツ」
孫堅は、一喝を加へて、
「順逆の道さへ知らず、君を弑(シイ)し民を苦しめ、たゞ、我慾あるのみな鬼畜に、何でわが子を婿になどくれられようか。——わが願望は逆賊董卓を打ち、併せてその九族を首斬つて、洛陽の門に梟(か)けならべて見せんといふ事しかない。——その望みを達しない時は、死すとも、眼を塞がじと誓つてをるのだ。足元の明るいうちに立帰つて、よく董卓に伝へるがいゝ」
と、痛烈に突つ刎(ぱ)ねた。
鉄面皮な使者は、少しも怯まず、
「そこです。将軍……」
と猶(なほ)、諄(くど)く云ひかけるのを、孫堅は耳にもかけず、押しかぶせて呶鳴つた。
「汝等の首も斬り捨てるところだが、暫(しばら)くのあひだ預けておく。早々立ち帰つて董卓にこの由を申せ」
使者の李傕ともう一名の者は、はう/\の態(テイ)で洛陽へ逃げ帰つた。
そして、事の仔細を、有のまゝに丞相へ報告に及んだ。
董卓は、虎牢関の大敗以来、このところ意気銷沈してゐた。
「李儒、どうしたものか」
と、例に依つて、丞相の〔ふところ〕刀と云はれる彼に計つた。
李儒は曰(い)ふ。
「遺憾ながら、こゝは将来の大策に立つて、味方の大転機を計らねばなりますまい」
「大転機とは」
「ひと思ひに、洛陽の地を捨てゝ長安へ都をお遷(うつ)しになることです」
「遷都か」
「さればです。——前(さき)に虎牢関の戦ひで、呂布すら敗れてから、味方の戦意は、さつぱり振ひません。如(し)かず、一度兵を収めて、天子を長安にうつし奉り、時を待つて、戦ふがよいと思ひます。——それに近頃、洛内の児童が謡つてゐるのを聞けば
西頭一箇ノ漢
東頭一箇ノ漢
鹿(ロク)ハ走ツテ長安ニ入ル
方(マサ)ニ斯(コノ)難無カルベシ
と有ります。歌の詞を按(アン)ずるに、西頭一箇の漢とは高祖をさし、長安十二代の泰平を云つて、同時に、長安の富饒(フゼウ)においでになつた事のある丞相の吉方(キツパウ)を暗示してゐるものと考へられます。東頭一箇の漢とは、光武洛陽に都してより今にいたるまで十二代。それを云つたものでせう。天の運数かくの如しです。——もし長安へおうつりあれば、丞相の御運勢は、いよいよ展(ひら)けゆくにちがひありません」
李儒の説を聞くと、董卓は、遽(にはか)に前途が展けた気がした。その天文説は、忽ち、政策の大方針となつて、朝議にかけられた。——いや独裁的に、百官へ云ひ渡されたのであつた。
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次回 → 洛陽落日賦(三)(2024年2月29日(木)18時配信)