第一回 → 黄巾賊(一)
前回はこちら → 虎牢関(四)
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いくら呂布でも、今はのがれる術はあるまい。忽ち、斬つて落されるだらう。
さう見えたが
「何をつ」
と、猛風一吼して、
「束になつて来いつ」
と呂布はまだ嘲(あざ)笑(わら)ふ余裕さへあつた。関羽、張飛、玄徳の三名を物ともせず、右に当り左に薙(な)ぎ、閃々の光り、鏘々(シヤウ/\》の響き、十州の戦野の耳目は、今やこゝに集められたの観があつた。
両軍の陣々にあつた国々の諸侯も、みな酒に酔つたやうに、遙(はる)かにこれを眺めていた。そのうちに呂布の一撃が、あはや玄徳の面を突かうとした刹那
「えおうツ」
「うわうツ」
双龍の水を蹴つて、一つの珠を争ふごとく、張飛、関羽のふたりが、呂布の駒を挟んだ。
呂布の鞍と、関羽の鞍とが、打(ぶ)つかり合つた程だつた。
ダダダダ——と赤兎馬は、蹄を後へ退いた。とたんに
「こは敵(かな)はじ」
と思つたか、呂布は
「後日再戦」
と三名の敵へ云ひすて、一散に馬首を回(かへ)して、わが陣地のはうへ引返した。
——こゝで彼を逸しては。
とばかり玄徳、関羽、張飛の三騎も駒をそろへて追ひかけた。
「あす知れぬ士(さむらひ)同士だぞ。戦場の出合に後日はない、返せつ呂布ツ」
と玄徳がさけぶと
——びゆツん
と呂布から一矢飛んで来た。
呂布は、駒を走らせ/\、振返つて、獅子皮の帯の弓箭(キウセン)を引抜き、
「悪(あ)しければ、おれの陣まで送つて来い」
と又、一矢放つた。
三本まで射た。
そして、またゝく間に、虎牢関の内へ逃げこんでしまつた。
「残念つ」
張飛も関羽も、歯がみをしたがどうしやうもない。
それもその筈、一日千里を走る赤兎馬である。張飛、関羽等の乗つている凡馬とは、ほんとに走るだんになると較(くら)べものにはならなかつた。
然(しか)し。
呂布が逃げたので、一時は散々な態(テイ)だつた味方は、果然、意気を改めた。国々の諸侯は総がゝりを号令し、喊(とき)の声は大いに奮つた。
敵軍は、呂布につゞいて、虎牢関へ引(ひき)退(しりぞ)いたが、その大半は、関門へ逃げ入れないうちに討たれてしまつた。
潮のごとく、寄手は関へ迫つた。関門の鉄扉はかたく閉ざされて敗北のうめきを内にひそめてゐた。
関羽、張飛は関門のすぐ真下まで来て、踏み破らんと焦つたが、天下の嶮といはれる鉄壁。如何(いかん)とも手がつけられない。
——時に、ふと。
関上遙けき一天を望むと、錦繡(キンシウ)の大旆(タイハイ)やら無数の旗幟が、颯々と翻(ひるがへ)つてゐる所に、青羅の傘蓋(サンガイ)が揺々(エウ/\)と風に従つて雲か虹のやうに見えた。
張飛は、かつと口を開いて、思はず大声をあげ
「おうつ、おうつ。——あれに見える者こそ正(まさ)しく敵の総帥董卓だ。彼奴(きやつ)の姿を目前に見て、空しく居られようか。続けや者共」
と、真先に、城壁へすがりついて、攀(よ)ぢ登らうとしたが、忽ち櫓の上から巨木岩石が雨の如く落ちて来たので、関羽は、地だんだ踏んで口惜しがる張飛を諫めて、漸(やうや)く、そこの下から百歩ほど退かせた。
この日の激戦は、かくて引(ひき)別(わか)れとなつた。世に伝へて、これを虎牢関の三戦といふ。
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次回 → 洛陽落日賦(一)(2024年2月27日(火)18時配信)