第一回 → 黄巾賊(一)
前回はこちら → 虎牢関(三)
***************************************
「何ツ」
呂布は、赤兎馬を止めて、きつと振返つた。
見れば、威風すさまじき一個の丈夫だ。虎鬚(とらひげ)を逆立て、牡丹の如き口を開け、丈八の大矛(おほほこ)を真横に抱へて、近づきざま打つてかゝらうとして来る容子。——いかにも凜凜たるものであつたが、その鉄甲や馬装を見れば、甚だ貧弱で、敵の一馬弓手にすぎないと思はれたから
「下郎つ。退(さが)れツ」
と、呂布はたゞ大喝一つ与へたのみで、対手(あひて)に取るに足らん——とばかりそのまゝ又進みかけた。
張飛は、その前へ迫つて、駒を躍らせ、
「呂布。走るを止めよ。——劉備玄徳の下に、かくいふ張飛のあることを知らないか」
早くも、彼の大矛は、横薙ぎに赤兎馬の鬣(たてがみ)をさつと掠(かす)めた。
呂布は、眦(まなじり)をあげて、
「この足軽め」
方天戟をふりかぶつて、真二つと迫つたが、張飛はすばやく、鞍横へ馳け迫つて、
「おうつツ」
吠え合せながら、矛に風を巻いて、りう[りう]斬つてかゝる。
意外に手強い。
「こいつ莫迦(バカ)にできぬぞ」
呂布は、真剣になつた。固(もと)より張飛も必死である。
貧しい郷軍を興して、無位無官を蔑まれながら、流戦幾年、そのあげくは又僻地に埋もれて、髀肉(ヒニク)を嘆じてゐたこと実に久しかつた彼である。
今、天下の諸侯と大兵が、挙(こぞ)つて集まつてゐるこの晴(はれ)の戦場で、天下の雄と鳴り響いた呂布を対手(あひて)にまはした事は、張飛として蓋(けだし)千載の一遇といはうか、優曇華(ウドンゲ)の花といはうか、何しろ志を立てゝ以来初めて巡り合つた機会といはねばなるまい。
とは云へ、呂布は名だゝる豪雄である。易々と討てるわけはない。
両雄は実に火華をちらして戦つた。丈八の蛇矛と、画桿(グワカン)の方天戟は、一上一下、人交ぜもせず、秘術の限りを尽し合つてゐる。
さしもの張飛も、
「こんな豪傑がゐるものか」
と、心中に舌を巻き、呂布も心のうちで、
「どうしてこんなすばらしい漢(をとこ)が馬弓手などになつてゐるのだらう」
と、愕(おどろ)いた。
幾度(いくたび)か、張飛の蛇矛は、呂布の紫金冠や連環の鎧をかすめ、呂布の方天戟は、屢々(しばしば)、張飛の眉前や籠手(こて)をかすつて、今にも何(いづ)れかが危く見えながら、しかも両雄は互(たがひ)にいつまでも喚(をめ)き合ひ叫び合ひ、かへつてその乗馬の方が、汗もしとゞとなつて轡(くつわ)を嚙み、馬は疲れるとも、馬上の戦ひは疲れて止むことを知らなかつた。
餘りの目ざましさに、両軍の将兵は、
「あれよ、張飛が」
「あれよ、呂布が——」
と、暫(しば)し陣をひらいて、見恍(みと)れてゐたが、呂布の勢ひは、戦へば戦ふほど、精悍の気を加へた。それに反して、張飛の蛇矛は、やゝ乱れ気味と見えたので、遙かに眺めてゐた曹操、袁紹をはじめ十八ケ国の諸侯も、今は、内心あやぶむかのやうな顔色を呈してゐたが折しも、突風のやうにそこへ馳けつけて行つた二騎の味方がある。
一方は、関羽だつた。
「義弟(おとと)、怯(ひる)むな」
と、加勢にかゝれば、又一方の側から、
「われは劉玄徳なり。呂布とやらいふ敵の勇士よ、そこ動くな」
と、名乗りかけ、乗り寄せて、玄徳は左右の手に大小の二剣を閃(ひらめ)かし、関羽は八十二斤の青龍刀に気をこめて、義兄弟三人三方から、呂布をつゝんで必殺の風を巻いた。
***************************************
次回 → 虎牢関(五)(2024年2月26日(月)18時配信)
なお、日曜日については夕刊が休刊のため、配信はありません。