第一回 → 黄巾賊(一)
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袁紹に訊ねられて、公孫瓚は、自分のうしろをちよつと振向いて、
「あ、この者ですか」
と、それを機(しほ)に一堂の諸将軍へも、改めて紹介した。
「これは涿県楼桑村の生れで、それがしとは幼少からの朋友です。劉備字は玄徳といつて、つい先頃までは、平原県の令を勤めてゐた者です。——どうかよろしく」
曹操は、眼をみはつて
「オヽ、では曽(か)つて、黄巾の乱の折、広宗の野や潁川地方にあつて、武名を鳴らした無名の義軍を率ゐてゐた人か」
「さうです」
「道理で——どこかで見たことがあるやうな気がしてゐたが。……さう[さう]潁川の合戦で、賊を曠野につゝんで焼打ちした時、陣頭でちよつと会釈を交した事がある。だいぶ前になるので、とんと見忘れてゐた」
袁紹も、初めて疑ひを解いて、不しつけな質問をした不礼を詫び
「楼桑村に名族の子孫ありとはかね[がね]耳にしてゐた。その玄徳どのとあれば、漢室の宗親である。誰か、席を与へ給へ」
と、云つた。
一将軍が、座を譲つて
「おかけなさい」
と、すゝめると、玄徳は初めて口をひらいて、
「いやいや、私は、将軍方とは比較にならない小県の令です。身分がちがひます。どうして諸公と並んで席に着けませう。これで結構です」
と、固く辞退し、そのまゝ公孫瓚のうしろに侍立してゐた。
袁紹は、かぶりを振つて、
「御遠慮には及ぶまい。何も御辺の公職に席を上げようと云つたのではなく、御辺の祖先は前漢の帝系であり、国のため功績もあつた事だから、それに対して敬意を払つたわけだ。遠慮なく席に着かれるがよい」
公孫瓚も、共に云つた。
「折角の御好意だから、頂戴したがよからう」
諸将軍も、又すゝめるので
「——では」
と玄徳は、堂上の一同へ、拝謝をした上、初めて一つの席を貰つた。
で、関羽と張飛のふたりは、歩を移して、改めて玄徳の背後に屹(キツ)と侍立(ジリツ)していた。
——時しも。
暁天に始まつて、すでに半日の餘にわたる大戦は、いよ[いよ]酣(たけなは)であつた。
先頃からの勝(かち)に誇つて
「十八ケ国十七鎮の大兵と誇称するも反逆軍は、烏合の勢とみえたり。何ほどの事もないぞ」
と、甘く見た華雄軍は、その擁する洛陽の精兵を挙げて、孫堅の一陣を踏みちらし、勢に乗つて汜水関の守りを出たものであつた。そしてすでに数十里を風が木の葉を捲くごとく殺到し鼓は雲にひゞき、鬨(とき)の声は山川を揺るがし、早くも、こゝ革新軍の首脳部たる本陣の間近まで迫つて来たらしくある。
「味方の二陣は、遂に、突破されました」
「三陣も!」
「残念。中軍も搔き乱され、危ふく見えます」
刻々の敗報である。
そして、敵の華雄軍は、長い竿の先に孫堅の朱い盔(かぶと)をさしあげ、罵詈(バリ)悪口をついて、大河の如くこれへ襲(よ)せてくる——といふ伝令のことばだつた。
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次回 → 関羽一杯の酒(四)(2024年2月17日(土)18時配信)