第一回 → 黄巾賊(一)
前回はこちら → 江東の虎(二)
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味方の鮑忠が、抜け馳けして、早くも敵に首級を捧げ、敵をよろこばせて居たとは知らず、先手の将、孫堅は、
「いで、一押しに」
と、戦術の正法を行つて、充分な備へをしてから、汜水関の正面へ攻めかけ、
「逆臣を扶(たす)くる匹夫。なんぞ早く降伏を乞はざるか。われは、革新の先鋒たり。時勢はすでに刻々と革(あらた)まるを、汝ら、頑愚の眼にはまだ見えぬか」
と、関城の下でどなつた。
華雄はこれを聞いて、
「笑ふべき〔たは〕言(ごと)を吐(ほ)ざくやつだ」
と、自分の周囲を見まはして、
「誰か、孫堅が首を取つて、この関城に、第一の功を誇らうとする者はないか」
と、云つた。
副将の胡軫、声に応じて、
「それがしに命じ給へ」
と、名乗り出た。
「胡軫か、よからう」
即(すなは)ち、華雄から五千の兵を分ち与へられて、胡軫は直(たゞち)に、関を下つた。
だが、華雄はなほ不安と見たか、更に又、自身一万の兵をひいて、関の側面から出て行つた。
関下の激戦は、もう始まつてゐた。
孫堅は、槍を押つとり、
「出で来りし者は、胡軫と見えたり。いでや来れ」
寄せ合ふと、胡軫も、
「なんの猪口才(ちよこざい)な」
と、矛を舞はし、悍馬(カンバ)の腹を上げて、躍りかゝつてきた。
すると、孫堅の旗本、程普(テイフ)は、
「この狼め。御主君の手を煩(わづら)はすまでもない。くたばれツ」
と、横あひから槍を投げた。
風を切つて飛んだ投げ槍は、ぐざと、胡軫の喉を突きとほし、しかも胡軫のからだを馬の上から攫(さら)つて、串刺しにしたまゝ大地へ突き立つてしまつた。
北軍の華雄は、
「死なしたり」
と、地〔だんだ〕踏んだが、すでに胡軫の組五千は崩れ立つた後なので、収拾もつかない。
「退(ひ)けや、退けや」
と、汜水関へひとまづ兵を収めて、関の諸門を閉め、勢に乗じて、間近に寄せてきた敵へ、石、大木、鉄弓、火矢など、雨のやうに浴びせかけた。
せつかく、敵の副将は討ち取つたが、その為(た)め、孫堅は部下に多数の犠牲を出してしまつた。
「かくては、益もなし」
と、疾(はや)く機を察して、孫堅も亦(また)、さつと見事な退陣ぶりを見せて、梁東(リヤウトウ)と云ふ部落の辺まで、兵を引いてしまつた。
そして、袁紹の本陣へ、その日の獲物たる胡軫の首を送り届けて、同時に、
「兵糧を送られたい」
と、云つてやつた。
ところが、本陣のうちに、孫堅へ恨みをふくむ者がゐた。軍の総帥たる袁紹へさゝやいて、
「それは考へものですぞ」
と讒言(ザンゲン)した。
「彼——孫堅と云ふ人間は、江東の虎です。彼を先手として、もし洛陽を陥入(おとしい)れ、董卓を殺し得たとしても、それは狼をのぞいて、虎を迎へてしまふやうなものです。あの功に焦心(あせ)つてゐる容子を見れば、およそ邪心が察せられます。——兵糧が乏しくなつて来たのはよい折、この折を幸(さいはひ)に、兵糧を送らずにおいて、彼自身の兵が意気沮喪して、乱れ散るのを待つのがいゝです。それが賢明と云ふものです」
袁紹は、さう聞くと、
「実(げ)にも道理」
と、その説を容れ、たうとう兵糧を送らなかつた。諸州十八ケ国から集まつて来た将軍同志の胸には味方とはいへ、各々虎視眈々たるものや、異心があつたのは、是非もないことである。
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次回 → 関羽一杯の酒(一)(2024年2月14日(水)18時配信)