第一回 → 黄巾賊(一)
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「誰だ。帳の蔭で云ふ者は」
董卓が、咎めると
「呂布です」
と、姿をあらはした。
呂布は、一礼して
「何をお迷ひなされますか。たかの知れた曹操や袁紹輩(はい)の企てなど片づけるに何の造作がありませうや。こんな時、それがしをお用ひ下さらずして、何の為(ため)に、赤兎馬を賜はつたのですか」
と、むしろ責めるやうな語気で、なほ云つた。
「この呂布を、お差向けねがひます。芥(あくた)の如き大軍を搔分(かきわ)けて、孫堅とやらを初め、曹操、袁紹など逆徒に加担の諸侯の首を、一々大地に梟(か)けならべて御覧に入れん」
「いや、頼母(たのも)しい」
と、董卓も大いに欣(よろこ)んで
「そちが居ればこそ儂(み)も枕を高くして、安臥(やすう)してをられるのだ。決して、寝所の帳か番犬のやうに、忘れ果てゝゐたわけぢやない」
と、慰めた。
時すでに、相丞室の帳外には、変を聞いて馳けつけて来た諸将がつめあつてゐたが
「呂布どの、待たれよ。鶏を裂くに、なんぞ牛刀を用ふべき。敵の先鋒には、それがし先(ま)づ味方の先鋒となつて、一当り当て申さん」
と、云ひながら、這入(はい)つて来た一将軍があつた。
諸人、眸(ひとみ)をあつめて、誰かと見るに、虎体狼腰(コタイラウエウ)、豹頭猿臂(ヘウトウヱンピ)、まことに稀代な骨(コツ)〔がら〕を備へた勇将とは見えた。
すなはち、関西(クワンセイ)の人、華雄(クワユウ)将軍であつた。
「おお、華雄か。いみじくも申したり。まづ汝、汜水関へ下つて、よく嶮を守り、わが洛陽を安んぜよ」
と、董卓は大いに欣(よろこ)んで、直(たゞち)に、印綬を彼にゆるし与ふるに五万の兵を以(もつ)てした。
華雄は、再拝して退き李粛、胡軫(コシン)、趙岑(テウシン)の三名を副将として選抜し、威風堂々と、その日に、汜水関へと進発して行つた。
北軍到る!
北軍南下す!
飛報は早くも袁紹、曹操たちの革新軍へも聞え渡つた。
先手を承(うけたま)はつた孫堅の陣は勿論
「来れや、敵」
と、覚悟のまへの緊張を呈してゐた。
その後陣に、済北の鮑信が備へてゐたが、北軍南下の報(し)らせを聞くと、弟の鮑忠(ホウチウ)をそつと呼んで、
「どうだ弟。おまへがひとつ、小勢をつれて間道を迂回し、汜水関の敵へ、奇襲をやつてみんか」
「やりませう」
「実は、長沙の孫堅が、逸(いち)はやく先手を承つてしまつたので、この儘(まゝ)にゐれば、われわれは、彼の名誉の後塵を拝するばかりだ。残念ではないか」
「私もさう思つてゐたところです」
「では、すぐ行け。首尾よく関内に突撃したら、火をつけろ。煙を合図に外からおれが大挙して攻めかけるから」
「心得ました」
鮑忠は、兄の鮑信としめし合せ夜のうちに、五百騎ばかり引いて道なき山を越えて行つた。
然(しか)し、それはすぐ、敵の華雄の知るところとなつてしまつた。物見の小勢につり込まれて、深入りした鮑忠は、難なく取(とり)かこまれて五百の兵と共に敵地で全滅の憂目(うきめ)に会つてしまつた。
その際。
華雄は、自身馬をすゝめて、鮑忠を一刀のもとに斬り落し
「幸先(さいさき)よし」
と、首を取つて、その首を早馬で洛陽へ送つた。
董卓からは、感状と剣一振(ひとふり)とが直(たゞち)に届けられて来た。
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次回 → 江東の虎(三)(2024年2月13日(火)18時配信)