第一回 → 黄巾賊(一)
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かくて——
曹操の計画は、今やまつたく確立したといつてよい。
布陣、作戦、すべて成つた。
会合の諸侯十八ケ国。兵力数十万。第一鎮より第十七鎮まで備へならべた陣地は、二百餘里につゞくと称せられた。
吉日を卜(ボク)して、曹操は、壇を築き、牛を斬り馬を屠(ほふ)つて祭り、
「われらこゝに起つ!」
と、旗挙げの式を執り行つた。
その式場で、諸将から、
「今、義兵を興し、逆賊を討たんとする。よろしく三軍の盟主を立て、総軍の首将といたゞいて、われら命をうくべし」
と、いふ発議が出た。
「然るべし」
「さうあるべしだ」
と異口同音の希望に、
「では、誰をか、首将とするべきか?」
となると、人々みな譲り合つて、さすがに、われこそと厚顔(あつかま)しく自己推薦をする者もない。
で結局、曹操が、
「袁紹はどうであらう」
と、指名した。
「袁紹は元来、漢の名将の後胤(コウイン)であるのみでなく、父祖四代に亘(わた)つて、三公の重職に昇り、門下には又、四方に良い吏人(やくにん)が多い。その名望地位から見ても、袁紹こそ盟主として恥かしくない人物ではあるまいか」
彼のことばに、
「いや、自分は到底、その器ではない」
と袁紹は謙遜して、再三辞退したが、それは他の諸将に対する一片の儀礼である。遂に推されて、
「では」
と、型の如く承諾した。
次の日。
式場に三重の壇を築き、五方に旗を立てゝ、白旄(ハクバウ)、黄鉞(クワウエツ)、兵符、印綬(インジユ)などを捧持(ホウヂ)する諸将の整列する中を、袁紹は衣冠をとゝのへ、剣を佩(は)いて壇にのぼり、
「赤誠の大盟こゝに成る。誓つて、漢室の不幸を回(かへ)し、天下億民の塗炭を救はん。——不肖袁紹、衆望に推されて、指揮の大任を享(う)く。皇天后土、祖宗の明霊よ、仰ぎ希(ねが)はくば、是(これ)を鑑(カン)せよ」
香を焚いて、祭壇に、拝天の礼を行ふと、諸将大兵みな涙をながし、
「時は来た」
「天下の黎明(レイメイ)は来た」
「日ならずして、洛陽の逆軍を、必ず地上から一掃せん」
と、歯をくひしばり、腕を撫(ブ)し、又、慷慨(カウガイ)の気を新(あらた)にして、式終るや、万歳の声しばし止まず、為(ため)に、天雲も闢(ひら)けるばかりであつた。
袁紹は又、諸将の礼をうけてから、
「われ今、菲才(ヒサイ)をもつて、首将の座に推さる。かゝる上は、功ある者は賞し、罪ある者は必ず罰せん。諸公、また部下に示すに、厳をもつて臨(のぞ)まれよ。つゝしんで怠り給ふなかれ」
と、命令の第一言を発した。
「万歳つ。万歳つ」
と、雷のやうな声をもつて、三軍はそれに応へた。
袁紹は、第二命として、
「わが弟の袁術は、いさゝか経理の才がある。袁術をもつて、今日より兵糧の奉行とし、諸将の陣に、兵站(ヘイタン)の輸送と潤沢を計らしめる」
それにも、人々は、支持の声を送つた。
「——次いで、直(たゞち)に我軍は、北上の途にのぼるであらう。誰か先陣を承つて、汜水
関(シスヰクワン)の関門を攻めやぶる者はないか」
すると、声に応じて、
「われ赴(ゆ)かん」
と、旗指物を上げて名乗つた者がある。長沙の太守孫堅であつた。
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次回 → 江東の虎(一)(2024年2月10日(土)18時配信)