第一回 → 黄巾賊(一)
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第一鎮から第十七鎮までの将軍はみな、一万以上の手兵を率ゐて各々の本国から参集して来た一方の雄なのである。
その中には又、どんな豪強や英俊がひそんでゐるかも知れなかつた。
わけて、第十六鎮の部隊には、時を待つてゐた深淵の蛟龍(こうりよう)がゐた。
北平の太守で奮武将軍の公孫瓚がその十六鎮の軍であつたが、檄に応じて、北平から一万五千餘騎をひつさげて南下してくる途中、徳州(トクシウ)の平原県(山東省・津浦(シンポ)線平原)のあたりまで来かゝると、
「暫(しばら)くつ、暫くつ!」
と、大声をあげて、公孫瓚の馬を止めた者がある。
「何者か?」
と、旗本たちが振(ふり)かへると、傍(かたは)らの桑畑の中を二、三旒(リウ)の黄なる旗がざわ[ざわ]と翻(ひるが)へりつゝ、此方へ近づいて来るのが見える。
「や?何処の武士共か」
と、疑つてゐる間に、それへ現れた三騎の武人は、家来の雑兵約十名ばかりと共に公孫瓚の馬前にひざまづいて
「将軍、願はくば、われわれ三名の者も、大義の軍に入れて引具し給へ。不肖ながら犬馬の労を惜(をし)まず、討賊の先陣に立つて、尽忠の誠を、戦場の働きに見せ示さんと、これにて御通過を待ちうけてゐた者でござります」
と、云つた。
公孫瓚は、初めのうち、さてはこの辺の郷士かとながめてゐたが、そう云ふ三名の中に、一名だけ、どこかで見覚えのある気がしたので、思いよりのまゝ試みに
「もしや貴公は、劉備玄徳どのには非ざるか」
と、訊ねてみると
「さうです。御記憶でしたか、自分は劉玄徳です」
との答へ。
「おう、さてはやはり——」
と、驚いて、
「黄巾の乱後、洛陽の外門でちよつとお会ひしたことがあるが、その後、御辺にはいかなる官職に就かれて居らるゝか」
「お恥かしいことですが、碌々として、何の功も出世もなく、この片田舎の県令をやつてゐました」
「それはひどい微職だな。貴公のやうな人物を、こんな片田舎に埋めておくなどゝは、勿体ないことだ。——して又、お連れの二人は如何(いか)なる人物か」
「これは、自分の義弟たちです」
「ほ、御舎弟か」
「ひとりは関羽、又、次にひかへて居る者は、張飛と申しまする」
「官職は」
「関羽は馬弓手(バキウシユ)、張飛は歩弓手(ホキウシユ)。——共にまだ役儀といつては、ほんの卒伍にしか過ぎません」
「いづれも頼もしげなる大丈夫を可惜(あたら)、田野の卒として、朽ちさせておいた事よな。——よろしい、御辺らも同じ志ならば、わが軍中に従つて、共々お働きあるがよい」
「では、おゆるし下さるか」
「願うてもない事だ」
「必ず逆臣董卓を殺して、朝廟を清めます」
玄徳も、関羽も、恩を謝して誓つた。そして再拝しながら起ちかけると、張飛は
「だからおれが云はぬ事ぢやない」
と、ぶつ[ぶつ]云つた。
「彼奴(きやつ)が黄巾賊の討伐に南下してゐた頃、潁川の陣営で、おれが董卓を殺さうとしたのに、兄貴たちが止めたものだから、今日こんなことになつてしまつた。——あの折、おれに董卓を殺させてくれゝば、今の乱は、起らなかつたわけだ」
玄徳は、聞き咎めて
「張飛。何を無用な〔たわ〕言を云つてゐるか。早々、軍の後方に従(つ)くがよい」
と、叱つた。そして自身もわざと、中軍より後の列に加はり共に曹操の大計画に参加したのであつた。
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次回 → 競ふ南風(五)(2024年2月9日(金)18時配信)