第一回 → 黄巾賊(一)
前回はこちら → 競ふ南風(二)
***************************************
さきに都を落ちて、反董卓の態度を明(あきら)かにし、中央から惑星視されていた渤海の太守袁紹の手もとへも、曹操の檄がやがて届いて来た。
「曹操が旗をあげた。この檄に対して、何(なん)と答へてやるか」
袁紹は、腹心をあつめて、さつそく評議を開いた。
彼の幕下には、壮気にみちた年頃の大将や、青年将校が多かつた。
田豊(デンホウ)の沮授(ソジユ)。許収(キヨシウ)。顔良(ガンリヤウ)。
また——
審配(シンハイ)。郭図(クワクト)。文醜(ブンシウ)。
などゝ云ふ錚々たる人材もあつた。
「誰か、一応、その檄文を読みあげてはどうか」
とのことに、顔良が、
「然(しか)らば、てまへが」
と、大きく読み出した。
檄
操等(ソウラ)、謹ンデ、
大義ヲ以(モツ)テ天下ニ告グ
董卓、天ヲ欺キ地ヲ晦(クラ)マシ
君ヲ弑(シイ)シ、国ヲ亡(ホロボ)ス
宮禁、為(タメ)ニ壊乱
狠戻(コンレイ)不仁、罪悪重積(ヂウセキ)ス
今
天子ノ密詔ヲ捧ゲテ
義兵ヲ大集シ
群凶ヲ剿滅(サウメツ)セントス
願ハクバ仁義ノ師(イクサ)ヲ携ヘ
来ツテ忠烈ノ盟陣(メイジン)ニ会シ
上、王室ヲ扶(タス)ケ
下、黎民(レイミン)ヲ救ハレヨ
檄文到ランノ日
ソレ速ヤカニ奉行(ホウカウ)サルベシ
「これこそ、我々が待つてゐた天の声である。地上の輿論である。太守、何を迷ふことがありませう。よろしく曹操と力を協(あは)すべき秋(とき)です」
幕将は、口を揃へて云つた。
「——だが」
と、袁紹は、なほ少し、ためらつてゐる風だつた。
「曹操が、密詔をうけるわけはないがなあ?……」
「よいではありませんか。たとひ密詔をうけてゐても、居なくても。その為すことさへ、正しければ」
「それもさうだ」
袁紹も遂に肚(はら)をきめた。
評定の一決を見ると、さすがに名門の出であるし、多年の人望もあるので、兵三万餘騎を立ちどころに備へ、夜を日についで、河南の陳留へ馳せのぼつた。
来てみると、その旺(さかん)なのに袁紹も驚いた。軍簿の到着に筆をとりながら、重(おも)なる味方だけを拾つてみると、その陣容は大したものであつた。
まづ——
第一鎮として、後将軍(ゴシヤウグン)南陽(ナンヤウ)の太守袁術(ヱンジユツ)、字は公路(コウロ)を筆頭に。
第二鎮
冀州の刺史韓馥(カンフク)
第三鎮
豫州(ヨシウ)の刺史孔伷(コウチウ)
第四鎮
兗州(エンシウ)の刺史劉岱(リウタイ)
第五鎮
河内(カダイ)の郡太守王匡(ワウキヤウ)
第六鎮
陳留の太守張邈(チヤウバウ)
第七鎮
東郡太守喬瑁(キヤウボウ)
そのほか、済北(セイホク)の相(シヤウ)、鮑信(ホウシン)、字は允誠(インセイ)とか、西涼の馬騰とか、北平の公孫瓚とか、宇内(ウダイ)の名将猛士の名は雲の如くで、袁紹の兵は到着順とあつて、第十七鎮に配せられた。
「自分も参加してよかつた」
こゝへ来て、その実状を見てから、袁紹も心からさう思つた。時勢の急なるのに、今更驚いたのである。
****************************************
次回 → 競ふ南風(四)(2024年2月8日(木)18時配信)