第一回 → 黄巾賊(一)
前回はこちら → 白面郎「曹操」(四)
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曹操を搦(から)めよ。
布令(ふれ)は、州郡諸地方へ飛んだ。
その迅速を競つて。
一方——
洛陽の都をあとに、黄馬に鞭をつゞけ、日夜をわかたず、南へ南へと風の如く逃げて来た曹操は、早くも中牟県(チウボウケン)(河南省中牟・開封鄭州の中間)——の附近までかゝつてゐた。
「待てつ」
「馬を降りろ」
関門へかゝるや否(いな)、彼は関所の守備兵に引(ひき)ずり降ろされた。
「先に中央から、曹操といふ者を見かけ次第召捕れと、指令があつた。其方(そのはう)の風采と容貌とは、人相書に甚だ似てをる」
関の吏事(やくにん)は、さう云つて曹操が何と云ひのがれようとしても、耳を借(か)さなかつた。
「とにかく、役所へ引ツ立てろ」
兵は鉄桶(テツトウ)の如く、曹操を取り囲んで、吟味所へ拉(らつ)してしまつた。
関門兵の隊長、道尉(ダウヰ)陳宮(チンキウ)は、部下が引つ立てゝ来る者を見ると、
「あつ、曹操だ!吟味にも及ばん」
と、一見して云ひ断(き)つた。
そして部下の兵を犒(ねぎ)らつて彼が云ふには
「自分は先年まで、洛陽に吏事をして居つたから、曹操の顔も見覚えてゐる。——幸(さいはひ)にも生擒(いけど)つたこの者を都へ差立てれば、自分は万戸侯といふ大身に出世しよう。お前たちにも恩賞を頒つてくれるぞ。前祝ひに、今夜は大いに飲め」
そこで、曹操の身は忽(たちま)ち、かねて備へてある鉄の檻車(カンシヤ)に抛(はう)りこまれ、明日にも洛陽へ護送して行くばかりとなし、守備の兵や吏事たちは、大いに酒を飲んで祝つた。
日暮になると、酒宴もやみ、吏事も兵も関門を閉じて何処へか散つてしまつた。曹操は最早、観念の眼(まなこ)を閉ぢてゐるものゝやうに、檻車の中に倚(よ)りかゝつて、真暗な山谷の声や夜空の風を黙然(モクネン)と聴いてゐた。
すると、夜半に近い頃、
「曹操、曹操」
誰か、檻車に近づいて来て、低声(こごゑ)に呼ぶ者があつた。
眼をひらいて見ると、昼間、自分を一目で観破つた関門兵の隊長なので、曹操は、
「何用か」
嘯(うそぶ)く如く答へると、
「おん身は都に在つて、董相国にも愛され、重く用ひられてゐたと聞いてゐたが、何故(なにゆゑ)に、こんな破滅(はめ)になつたのか」
「くだらぬ事を問ふもの哉(かな)。燕雀(エンジヤク)なんぞ鴻鵠(コウコク)の志を知らんやだ。——貴様はもうおれの身を生擒つてゐるんぢやないか。四の五の云はずと都へ護送して、早く恩賞にあづかれ」
「曹操。君は人を観る明(メイ)がないな。好漢惜しむらく——といふ所か」
「何だと」
「怒り給ふな。君が徒(いたづ)らに人を軽んじるから一言酬(むく)いたのだ。かくいふ自分とても、沖天(チウテン)の大志を抱いてをる者だが、真(シン)に、国の憂ひを語る同志もない為(ため)、空しく光陰の過るのを恨みとしてをる。折から、君を見たので、その志を叩きに来たわけだが」
意味ありげな言葉に、曹操も初めの態度を改めて、
「然(しか)らば云はう」
と、檻車の中に坐り直した。
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次回 → 偽忠狼心(ぎちうらうしん)(二)(2024年1月31日(水)18時配信)