第一回 → 黄巾賊(一)
前回はこちら → 春園走獣(しゆんゑんそうじう)(四)
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曹操はまだ若い人だ。遽(にはか)に、彼の存在は近頃大きなものとなつたが、その年歯風采(ネンシフウサイ)は猶(なほ)、白面の一青年でしかない。
年二十で、初めて洛陽の北都尉(ホクトヰ)に任じられてから、数年のうちにその才幹は認められ、朝廷の少壮武官に列して、禁中紛乱、時局多事の中を、よく失脚もせず、いよいよその地歩を占めて、新旧勢力の大官中に伍し、いつのまにか若年ながら錚々たる朝臣の一員となつてゐるところ、早くも凡物でない圭角(ケイカク)は現れてゐた。
竹裏館の秘密会で、王允もいつたとほり、彼の家柄は、元来名門であつて、高祖覇業を立てゝ以来の——漢の丞相曹参(サウサン)が末孫だといはれている。
生れは沛国譙郡(ハイコクセウグン)(江蘇省・徐州北南沛県)の産であるが、その父曹嵩(サウスウ)は、宮内官たりし職を辞して、早くから野に下り、今では陳留(チンリウ)(河南省・開封の東南)に住んでゐて、老齢だがなほ健在であつた。
その父曹嵩も、
「この子は鳳眼(ホウガン)だ」
と云つて、幼少の時から、大勢の子のうちでも、特に曹操を可愛がつてゐた。
鳳眼といふのは鳳凰の眼(め)のやうに細くてしかも光があるといふ意味であつた。
少年頃になると、色は白く、髪は漆黒で、丹唇明眸(タンシンメイバウ)、中肉の美少年ではあり、しかも学舎の教師も、里人も、
「恐いやうなお児(こ)だ」
と、その鬼才に怖れた。
こんな事もあつた。
少年の曹操は、学問など一を聞いて十を知るで、書物などに嚙(かじ)りついてゐる日はちつとも見えない。游猟(イウレウ)が好きで弓を持つて獣を追つたり、早熟で不良を集めて村娘を誘拐(かどはか)したり、そんな事ばかりやつてゐた。
「困つた奴だ」
叔父なる人が、将来を案じて、彼の父へ密かに忠告した。
「あまり可愛がり過ぎるからいけない。親の目には、子の良い才ばかり見えて、奸才(カンサイ)は見えないからな」
父の曹嵩も、ちら[ちら]良くない事を耳にしてゐた折なので、早速曹操を呼びつけて、厳しく叱り、一晩中お談義を聞かせた。
翌る日、叔父がやつて来た。
すると曹操は、ふいに門前に卒倒して、癲癇(テンカン)の発作に襲はれたみたいな苦悶をした。
仮病とは知らず、正直な叔父は驚きあわてゝ奥の父親へ告げた。
父の曹嵩も、可愛いゝ曹操の事なので、顔色を変へて飛出して来た。——ところが曹操は門前に遊んでゐて、いつもと何も変つた所は見えない。
「曹操、曹操」
「なんです、お父さん」
「何ともないのか。今、叔父御が駆けこんで来て、お前が癲癇を起してひツくり返つてゐる、大変だぞ、直ぐ行つてみろ、と云はれて仰天して見に来たのだが」
「ヘエ……。何(ど)うしてそんな噓ツぱちを叔父さんは知らせたんでせう。私はこの通り何でもありませんのに」
「変な人だな」
「まつたく、叔父さんは変な人ですよ。噓を云つて、人が驚いたり困つたりするのを見るのが趣味らしいんです。村の人も云つてゐますね。——坊つちやんは、あの叔父さんに何か憎まれてやしませんかツて。何でも、わたしの事を放蕩息子だの、困り者だの、又癲癇持ちだのつて、方々へ行つて、しやべりちらしてゐるらしいんですよ」
曹操は、けろりとした顔で、さう云つた。彼の父は、その事があつてからといふもの、何事があつても、叔父の言葉は信じなくなつてしまつた。
「甘いもンだな。親父は」
曹操はいゝ気になつて、愈々(いよ[いよ])機謀縦横に悪戯(わるさ)をしたり、放埓(ハウラツ)な日を送つて育つた。
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次回 → 白面郎「曹操」(二)(2024年1月26日(金)18時配信)