第一回 → 黄巾賊(一)
前回はこちら → 春園走獣(しゆんゑんそうじう)(三)
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「これは意外なお怒りを——」と曹操はやゝ真面目に改まつて
「それがしとて何も理のない事を笑つたわけではありません。時の大臣(おとゞ)ともあらう方々が、女童の如く、日夜めそ[めそ]悲嘆してをらるるのみで董卓を誅伏(チウフク)する計(はかりごと)と云つたら何もありはしない。——そんな意気地なしなら、時勢を慨嘆したりなどせずに、美人の腰掛になつて胡弓でも聴きながら感涙を流してゐたらよからうに——と思つたのでつい笑つてしまつた次第です」
と臆面もなく云つた。
曹操の皮肉に王允を初め公卿(クゲ)たちも憤(むつ)と色をなして、座は白け渡つたが、
「然(しか)らば何か、そちはそのやうな広言を吐くからには、董卓を殺す計(はかりごと)でも有ると云ふのか。その自信があつての大言か」
王允が再び急(せ)きこんで難詰(なじ)つたので、人々は、彼の返答如何(いか)にと、固唾(かたづ)をのんで、曹操の白い面に眸(ひとみ)をあつめた。
「無くて何(ど)うしませう!」
毅然として彼は肩を昂(あ)げ、
「不才ながら小生におまかしあれば、董卓が首を斬つて、洛陽の門に梟(か)けて御覧に入れん」
と明言した。
王允は、彼の自信ありげな言葉に、かへつて喜色をあらはし、
「曹校尉、もし今の言に偽りがないならば、寔(まこと)に天が義人を地上に降(くだ)して、万民の苦しみを助け給ふものだ。抑(そも)、君にいかなる計(はかりごと)やある。願はくば聞かしてもらひたいが」
「されば、それがしが常に董相国に近づいて、表面、媚び諂(へつら)つて仕へてゐるのは、何を隠さう、隙もあれば彼を一思ひに刺し殺さうと内心誓つてゐるからです」
「えつ。……では君には疾(と)くよりそれ迄(まで)の決心を持つてゐたのか」
「さもなくて、何の大笑大言を諸卿に呈しませう」
「あゝ、天下に猶(なほ)この義人あつたか」
王允は尽(こと[ごと])く感じて、人々も亦(また)ほつと喜色を漲(みなぎ)らした。
すると曹操は、
「時に、王公に小生から、一つの御無心がありますが」
と云ひ出した。
「何か、遠慮なく云うてみい」
「他ではありませんが、王家には昔より七宝を鏤(ちりば)めた稀代の名刀が伝来されてをる由、常々、承つてをりますが、董卓を刺すために、願はくばその名刀を、小生にお借し下さいませんか」
「それは、目的さへ必ず仕遂げてくれるならば……」
「その儀は、屹度(きつと)やりのけて見せます。董相国も近頃では、それがしを寵愛して、まつたく腹心の者同様に視てゐますから、近づいて一断に斬殺する事は、何の造作もありません」
「うム。それさへ首尾よく参るものなら、天下の大幸といふべきだ。何で家宝の名刀一つをその為(ため)に惜(をし)まうや」
と、王允はすぐ家臣に命じて、秘蔵の七宝剣を取出し、手づからそれを曹操に授け、且(かつ)云つた。
「然(しか)し、もし仕損じて、事顕(あらは)れたら一大事だぞ。充分心して行へよ」
「乞ふ、安んじて下さい」
曹操は剣を受け、その夜の酒宴も終つたので、颯爽として帰途についた。七宝の利剣は燦として夜光の珠の帯の如く、彼の腰間に耀(かゞや)いてゐた。
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次回 → 白面郎「曹操」(一)(2024年1月25日(木)18時配信)