第一回 → 黄巾賊(一)
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席を蹴つて、袁紹が出て行つてしまふと、董卓は、やにはに、客席の一方を強く指して、
「太傅(タイフ)袁隗(ヱンクワイ)!袁隗をこれへ引つ張つて来い」
と、左右の武士に命じた。
袁隗はまツ蒼な顔をして、董卓の前へ引ずられて来た。彼は、袁紹の伯父にあたる者だつた。
「こら、汝の甥(をひ)が、余を恥しめた上、無礼を極めて出て行つた態(テイ)は、その眼で慥(しか)と見てゐたであらうが。——こゝで汝の首を斬る事を余は知つているが、その前に、一言訊いてつかはす。此世(このよ)と冥途の辻に立つたと心得て、肚(はら)をすゑて返答をせい」
「はつ……はいつ」
「汝は、この董卓が宣言した帝位廃立をどう思ふ?賛同するか、それとも、甥の奴と同じ考へか」
「尊命の如し——であります」
「尊命の如しとは!」
「あなたの御宣言が、正しいと存じます」
「よしつ。然(しか)らばその首をつなぎ止めてやらう。他の者は何(ど)うだ。我すでに大事を宣せり。背(そむ)く者は、軍法を以て問はん」
剣を挙げて、雷の如く云つた。
並居る百官も、慴伏(セフフク)して、もう誰ひとり反対をさけぶ者もなかつた。
董卓は、斯(か)くて、威圧的に百官に宣誓させて、又、
「侍中(ジチウ)周毖(シウヒ)!校尉伍瓊(ゴケイ)!議郎(ギラウ)何顒(カグウ)!——」
と、いち[いち]役名と名を呼びあげて、その起立を見ながら厳命を発した。
「我に背いた袁紹は、必ずや夜のうちに、本国冀州へさして逃げて帰る心にちがひない。彼にも兵力があるから油断はするな。すぐ精兵を率ゐて追ひ討(うち)に打つて取れ」
「はつ」
三将のうち、二人は命を奉じて、すぐ去りかけたが、侍中周毖のみは、
「あいや、怖れながら、仰せは御短慮かと存じます。上策とは思はれません」
「周毖つ。汝も背く者か」
「いえ、袁紹の首一つを獲(と)るために、大乱の生じるのを怖れるからです。彼は平常、恩徳を布き、門下には吏人(やくにん)も多く、国には財があります。袁紹叛旗(ハンキ)を立てたりと聞えれば、山東の国々悉(こと[ごと])く騒いで、それらが、一時にものを云ひますぞ」
「ぜひもない。余に背く者は討つあるのみだ」
「ですが、元来、袁紹といふ人物は、思慮はあるやうでも、決断のない男です。それに天下の大勢を知らず、たゞ憤怒に駆られてこの席を出たものゝ、あれは一種の恐怖です。何(なん)であなたの覇業を邪(さまた)げる程な害をなし得ませうや。むしろ喰らはすに利を以てし、彼を一郡の太守に封じ、そつとして置くに限ります」
「さうかなあ?」
坐右を顧みて呟くと、蔡邕(サイイフ)も大きに道理であると、それに賛意を表した。
「では、袁紹を追ひ討ちにするのは、見あはせとしよう」
「それがいゝです、上策と申すものです!」
口々からでる賛礼(サンライ)の声を聞くと、董卓は俄(にはか)に気が変つて、
「使(つかひ)を立てゝ、袁紹を渤海郡(ボツカイグン)の太守に任命すると伝へろ」
と、厳命を変更した。
その後。
九月朔日(ついたち)のことである。
董卓は、帝を嘉徳殿に請じて、その日、文武の百官に
——今日出仕せぬ者は、斬飛(ザンヒ)に処せん。
といふ布告を発した。そして殿上に抜剣して、玉座をもしり目に、
「李儒、宣文を読め」
と股肱の彼にいひつけた。
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次回 → 赤兎馬(六)(2024年1月19日(金)18時配信)