第一回 → 黄巾賊(一)
前回はこちら → 呂布(三)
吉川英治「三国志」は夕刊掲載の新聞連載小説ですが、第111回は昭和15年1月15日(月)付朝刊に掲載され、これに続く第112回は1月16日(火)付夕刊に掲載されています。日付は異なりますが、当時の夕刊は前日配達なので、この1月15日は朝刊と夕刊に吉川英治「三国志」が掲載されいたことになります。
これにあわせ、本日のメールマガジン配信は6時と18時の2回となっております。
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その日の戦ひは、董卓の大敗に帰してしまつた。
呂布の勇猛には、それに当る者もなかつた。丁原も、十方に馬を躍らせて、董卓軍を蹴ちらし、大将董卓のすがたを乱軍の中に見かけると、
「簒逆(サンギヤク)の賊、これにありしか」
と、馳け迫つて、
「漢の天下、内官の弊悪に紊(みだ)れ、万民みな塗炭の苦しみをうく。しかるに、汝は涼州の一刺史、国家に一寸の功もなく、たゞ乱隙(ランゲキ)を窺(うかゞ)つて、野望を遂げんとし、妄(みだり)に帝位の廃立を議するなど、身の程知らずな逆賊といふべきである。いでその素頭(すかうべ)を刎ねて、巷(ちまた)に梟(か)け、洛陽の民の祭に供せん」
と、討つてかゝつた。
董卓は、一言もなく、敵の優勢に怖れ、自身の恥(はづ)る心に怯(ひる)んで、あわてゝ味方の楯(たて)の内へ逃げこんでしまつた。
そんなわけで董卓の軍は、その日、士気の揚(あが)らない事夥(おびたゞ)しく、董卓も腐りきつた態(テイ)で、遠く陣を退(ひ)いてしまつた。
夜——
本陣の燈下に、彼は諸将を呼んで嘆息した。
「敵の丁原はともかく養子の呂布がゐるうちは勝目がない。呂布さへおれの配下にすれば、天下は我掌(わがたなごころ)のものだが——」
すると、諸将のうちから、
「将軍。嘆ずるには及びません」
と、云つた者がある。
人々が顧みると、虎賁中郎将(コホンチウラウシヤウ)の李粛(りしゆく)であつた。
「李粛か。何の策がある?」
「あります。私に、将軍の愛馬赤兎(セキト)と一嚢(ひとふくろ)の金銀珠玉をお託しください」
「それをどうするのか」
「幸にも、私は、呂布と同郷の生れです。彼は勇猛ですが賢才ではありません。以上の二品に、私の持つてゐる三寸不爛の舌をもつて、呂布を訪れ、将軍のお望(のぞみ)をきつとかなへてみせませう」
「ふム。成功するかな?」
「まづ、おまかせ下さい」
でもまだ迷つてゐる顔つきで、董卓は、側に居る李儒の意見を訊いた。
「どうしよう。李粛はあのやうに申すが」
すると李儒は、
「天下を得るために、何で一匹の馬をお惜(をし)みになるんです」
と、云つた。
「なるほど」
董卓は大きく頷(うなづ)いて、李粛の献策を容れることにし、秘蔵の名馬赤兎と、一嚢の金銀珠玉とを彼に託した。
赤兎は稀代の名馬で、一日よく千里を走るといはれ、馬体は真つ赤で、風を衝(つ)いて奔馳(ホンチ)する時は、その鬣(たてがみ)が炎の流るゝように見え董将軍の赤兎といへば、知らない者はないくらゐだつた。
李粛は、二人の従者にその名馬を曳(ひ)かせ金銀珠玉を携へて、その翌晩、密かに呂布の陣営を訪問した。
呂布は、彼を見ると、
「やあ、貴公か」
と、手を打つて欣(よろこ)び、
「君と余とは、同郷の友だが、その後お互(たがひ)に消息も聞かない。いつたい今は何(ど)うしてゐるのか」
と、帳中へ迎へ入れた。
李粛も、久濶(キウクワツ)を叙して、
「自分は漢朝に仕へて、今では虎賁中郎将の職を奉じてゐる。君も、社稷を扶(たす)けて大いに国事に尽してゐると聞いて、実は今夜、祝ひに来たわけだ」
と、云つた。
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次回 → 赤兎馬(二)(2024年1月15日(月)18時配信)