第一回 → 黄巾賊(一)
前回はこちら → 呂布(二)
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——けれど、董卓の野望は、丁原に反対されたぐらゐで、決して萎(しぼ)みはしなかつた。
大饗宴の席は一時、そんなことで白け渡つたが、酒杯の交歓一しきりあると、董卓は又起つて、
「最前、余の述べたところ、おそらく諸君の意中であり、天下の公論と思ふが、何(ど)うだらう」
と、重ねて糺(たゞ)した。
すると、席にあつた中郎将盧植が、率直に、彼を意見した。
「もうお止(や)めなさい。餘り我意を押(おし)つけようとなさると、天子の廃立に名分をかりて、董公御自身が、簒奪の肚(はら)があるのではないかと人が疑ひます。昔、殷(イン)の太甲(タイカフ)無道でありし為(ため)、伊尹(イイン)これを桐宮(トウキユウ)に放ち、漢の昌邑(シヤウユウ)が王位に昇つて——」
何か、故事をひいて、学者らしく諫言しかけると、董卓は、
「だまれつ、だまれつ——貴様も血祭りに首を出したいのか」
と激怒して、周囲の武将を顧み、
「彼を斬れつ。斬つちまへ。斬らんかつ」
と指さし震へた。
けれど、李儒は、押止(おしとゞ)め、
「いけません」
と、云つた。
「盧植は海内(カイダイ)の学者です。中郎将としてよりも、大儒(タイジユ)として名が知られてゐます。それを董卓が殺したと天下へ聞えることは、貴方の不徳になります。御損です」
「では、追つ払へつ」
董卓は、又つゞけざまに怒号した。
「官職を引つ剝(ぱ)いでだぞ。——盧植を官に置かうと云ふ者はおれの相手だ」
もう、誰も止めなかつた。
盧植は、官を逐はれた。この日から先、彼は世を見限つて、上谷(ジヤウコク)の閑野(カンヤ)にかくれてしまつた。
それは、偖措(さてお)き、饗宴もこんなふうで、殺伐な散会となつてしまつた。帝位廃立の議は、又の日にしてと、百官は逃げ腰に閉会の乾杯を強ひて挙げた。
司徒王允などは、真つ先に狐鼠狐鼠(コソコソ)帰つた。董卓はなほ、丁原の反対に根をもつて、轅門(エンモン)に待(まち)うけて、彼を斬つて捨てんと、剣を按じてゐた。
ところが。
最前から轅門の外に、黒馬に踏み跨(またが)つて、手に方天戟(ハウテンゲキ)を提(さ)げ、頻(しき)りと帰る客を物色したり、門内を窺(うかゞ)つたりしてゐる風貌非凡な若者がある。
ちらと、董卓の眼に止(とゞ)まつたので、彼は李儒を呼んで訊ねた。李は外を覗(のぞ)いて
「あれですよ、最前、丁原のうしろに突つ立つてゐた男は」
「あれか。はてな、身装(みなり)が違ふが」
「武装して出直して来たんでせう。怖(おそろ)しい奴です。丁原の養子で、呂布(リヨフ)といふ人間です。五原郡(ゴゲングン)(山西省・北部)の生れで、字(あざな)は奉先(ホウセン)、弓馬の達者で天下無双と聞えてゐます。あんな奴に関(かま)つたら大事(おほごと)ですよ。避けるに如(し)くなし。見ぬ振(ふり)をしてゐるに限ります」
聞いてゐた董卓は、遽(にはか)に恐れを覚え、あわてゝ園内の一亭へ隠れこんでしまつた。
重ね[重ね]彼は呂布のために丁原を討ち損じたので、呂布の姿を、夢の中にまで大きく見た。どうも忘れ得なかつた。
するとその翌日。
ことも俄(にはか)に、丁原が兵を率ゐて、董卓の陣を急に襲つてきた。彼は聞くや否や、大いに怒つて、忽(たちま)ち身を鎧ひ、陣頭へ出て見てゐると、たしかに昨日の呂布、黄金の盔(かぶと)をいたゞき、百花戦袍(センパウ)を着、唐猊(からしゝ)の鎧に、獅蛮(シバン)の宝帯(ホウタイ)をかけ、方天戟を提げて、縦横無尽に馬上から斬り捲(まく)つてゐる有様に——董卓は敵ながら見とれてしまひ、又内心ふかく怖れをのゝいた。
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次回 → 赤兎馬(一)(2024年1月15日(月)6時配信)
なお、日曜日については夕刊が休刊のため配信はありませんが、今回に続く第111回は昭和15年(1940)1月15日付朝刊に掲載されていました。これに伴い、1月15日(月)朝6時に第111回を配信いたします。