第一回 → 黄巾賊(一)
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美酒玉杯、数巡して、
「今日の宴に列せられた諸公に対(むか)つて、余は一言提議したい」
董卓は起つて、徐(おもむ)ろにかう発言した。
何を云ふのかと、一同は静まり返つた。董卓はその肥満した体をぐつと反(そら)すと
「余は思ふ。天子は天稟(テンピン)の玉質であらねばならぬ。万民の景仰(ケイギヤウ)をあつめるに足る御方であらねばならぬ。宗廟社稷を護りかためて揺ぎなき仁徳を兼備(かねそな)へて在(おは)さねばならぬ。然(しか)るに、不幸にも新帝は薄志懦弱(ハクシダジヤク)である。漢室のため、われわれ臣民の常に憂ふるところである」
大問題だ。
聞く者みな色を醒(さ)ました。
董卓は、寂(セキ)としてしまつた百官の頭上を見まはして、左の拳を、剣帯に当てがひ、右の手をつよく振つた。
「こゝに於て、余は敢て云はう。憂ふる勿(なか)れ諸卿と。幸ひにも、皇弟陳留王こそは、学を好み、聡明に在(おは)し、天質玲瓏、寔(まこと)に天子の器といつてよい。今や天下多事、よろしく此際(このさい)只今の天子に代ふるに、陳留王をもつてし、帝座の廃立を決行したいと考へるが、如何あらうか。異論あるものは立つて意見を述べ給へ」
驚くべき大事を、彼は宣言同様に云ひ出したのである。広い大宴席に咳声(せき)ひとつ聞えなかつた。気をのまれた形でもあらう。董卓は、俺に反対する者などあるわけもない——と云つたやうに、自信に充(み)ちた眼で眺めまはした。
すると、百官の席のうちから、突として誰か立つ音がした。一斉に人々の首は彼のはうを見た。
荊州の刺史丁原である。
「吾輩は起立した、反対の表示である」
董卓はかつと睨(にら)めて、
「木像を見ようとは思はない。反対なら反対の意見を吐け」
「天子の座は、天子の御意にあるものである。臣下の私議するものではない」
「私議はせん。故におれは公論に糺(たゞ)してをるんぢやつ」
「先帝の正統なる御嫡子たる今の帝に、何の瑕瑾(きず)やあらん、咎(とが)やあらん。こんな所で、帝位の廃立を議するとは何事だ。おそらく、纂奪を企む者でなくば、そんな暴言は吐けまい」
皮肉ると、董卓は
「だまれつ、われに反(そむ)く者は死あるのみだぞ」
繡袍(シユウハウ)の袖をはねて、佩剣(ハイケン)の柄(つか)に手をかけた。
「何をする気か」
丁原は、びくともしなかつた。
それも道理、彼のうしろには、一個の偉丈夫が儼然と笑つて立つてゐて
(丁原に指でもさしてみろ)
と言はんばかり恐ろしい顔してゐた。
爛々たるその眸(ひとみ)、凜々たる威風、見るからに猛豹(マウヒヤウ)の気がある。
董卓の股肱として、常に秘書のごとく側へ附いてゐる李儒は、あわてゝ主人の袖を引つぱつた。
「きょうは折角の御宴です。固くるしい国政向(むき)のことなどは、席を改めて、他日になすつては如何です。とかく酒気のあるところでは、論議は纏(まと)まりません」
「……む、うむ」
董卓も、気づいたので、不承不承、剣の柄から手を下げた。けれど何(ど)うも、丁原のうしろに立つてゐる男が気になつて堪(たま)らなかつた。
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次回 → 呂布(三)(2024年1月13日(土)18時配信)