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管輅はかたく召を拒んだ。けれど許芝が再三の懇望と、魏王の命といふのにもだし得ず、つひに伴はれて、曹操の前に出た。
曹操は、まづ云つた。
「卜聖(ボクセイ)。ひとつ予のために、予の人相を卜(うらな)つて観てくれぬか」
管輅は笑つて答へた。
「大王はすでに位(くらゐ)人臣を極めたお人。何の今更、相を観る餘地がありませう」
「しからば、予の病に就(つい)て卜へ。何か妖者の気でも祟(たゝつ)てゐるのではないか。その辺のことをひとつ」
と、彼は近頃しきりに気になつてゐる左慈の事件を仔細にはなした。
すると管輅はなほ笑つて、
「それはみな世にいふ幻術といふものです。幻語幻気を吐いて、巧みに人の心眼を惑はし、即妙の振舞をして見せるものですが、固(もと)より実相のものには非ず、大王何ぞ御心に病むことやある。奇妙といふにも足らないではありませんか」
と、云つた。
曹操は急に気の霽(は)れ上がつたやうな顔をした。本来の彼の知識も彼を醒ました。
「いや、さうか。さう云はれてみると、濛気(モウキ)の開けるやうな心地がする。——さらば、小さい私事を離れて、更に大きな問題に就(つい)てたづねたいが、いつたい将来の天下はどうなるだらう」
「茫々たる天数、何で、小さい人智を以て、測り得ませう。訊く方が御無理です」
管輅は敢て天眼を誇らない。むしろ凡々と装つて、さういふ大事に語を避けた。
けれど曹操が、世間ばなしの如く、打解けた態(テイ)をもつて、諸州の形勢をものがたり、玄徳、孫権などの噂に及び、それとなく各国の軍備や兵力、また文化の進展などに就(つい)て、飽(あく)なく話しかけると、管輅もそれに釣られて、自己の見解を述べ、天数運行の理をもつて、事々に、判断を下した。
曹操はすつかり傾倒してしまつた。彼も天文や陰陽学には並ならぬ興味をもつてゐるので、管輅が世の常のいはゆる売卜の徒でないことを早くも認めて、
「汝を太史官(タイシクワン)に浦(ホ)(ママ)して、つねに魏宮に置きたく思ふが、どうだ、予に仕へないか」
と、心をひいてみた。
管輅は、首を振つて、
「折角ですが、私の人相は、官吏になる相ではありません。額に巠骨(ケイコツ)なく、眼に守睛(シユセイ)なく、鼻に梁柱(レウチウ)なく、また、脚に天根(テンコン)なく、腹に三(サン)壬(ジン)なし。もし私が官吏になつたら身を敗るのみです。如(し)かず、泰山にあつて、鬼(キ)を治(ヂ)すべし。生ける人を治(ヂ)する器(うつは)ではありません」
「さすがによく己(おのれ)を識るものだ」
と、曹操はいよ/\彼を信じて、その人を治(ヂ)すものは、どういふ器だらうか。たとへばわが臣下のうちでは、誰(たれ)と誰(たれ)であらうかなどと問うたが、管輅は、
「それは、大王の御(お)眼(め)鑑(がね)のはうが、はるかに確(たしか)でおいでゝせう」
とのみで、敢て、明答しなかつた。
曹操はかさねて、
「このところ、呉の国の吉凶はどうだらう」
と、敵の運命を質(たゞ)した。
管輅は言下に言つた。
「呉では、誰(たれ)か有力な重臣が死ぬと思はれます」
「蜀は?」
「蜀は兵気さかんです。察するに、近日、界を侵して、他を犯すこと必然です」
すると、幾日もたゝないうちに合淝の城から早馬が来て、
「呉の功臣魯粛が、病にかゝつて、過ぐる日、病死いたした由」
と、報せて来た。
更に、曹操を驚かせたものは、漢中からの使者による、
「蜀の玄徳、すでに内治の功をあげ、いよ/\馬超、張飛の二軍を先手として、漢中へ進攻の気勢を示す」
といふ情報であつた。
管輅の豫言は、二つとも、的中してゐた。曹操はすぐ出馬を計つたが、管輅はふたゝび豫言して、
「来春早々、都のうちに、かならず火の禍(わざはひ)がありませう。大王は滅多に遠くへ征(ゆ)くべきでありません」
と、告げた為、彼は、曹洪に五万騎をさづけてさし向け、身は、鄴郡にとゞまつてゐた。
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次回 → 正月十五夜(一)(2026年8月11日(火)18時配信)

