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前回はこちら → 藤花の冠(一)
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やがて、山の麓へ来た。
到底、追ひつくべくも見えないので、許褚は、部下の五百騎に、
「射(い)止(とめ)ろ。弓で」
と、大汗で励ました。
五(ゴ)百(ヒヤク)弓(キウ)の弦(つる)がいちどに鳴つた。ところが、彼方の左慈の姿は矢のさきに消えて、悠々と、地上に遊んでゐる白雲の如き羊の群(むれ)だけがあつた。
「てツきり、この中にゐる」と、許褚は、そこへ来るや否、数百の羊を、一匹のこらず打殺した。
そして、引つ返してくるとその途中、おい/\と泣いてゐる一人の童子に会つた。
「こら、子供。何を悲しむか」
許褚が訊ねると、童子は恨めしさうに、
「おらの飼つてゐる羊を、自分の手下にみな殺させておきながら、何を悲しむかもないもんだ。莫迦(バカ)野郎」
童子は、罵つて、逃げだした。一人の部下は、あれも怪しいと、矢をつがへて、うしろから放つた。
いくら射ても、矢はヘロ/\と地に落ちてしまつた。その間に、童子は、わが家へとびこんで、もつと大きな声して泣きぬいてゐた。
翌る日、童子の親が、王宮へ謝まりに来た。——きのふ家の腕白が、お城の大将にむかつて、羊を殺された忌々(いま/\)しさの餘り、悪口をたたいて逃げたさうですが、今朝起きてみると、一夜のうちに、死んだ羊がみな生き甦(かへ)つて、いつものやうに牧(まき)で群れ遊んでゐる。ふしぎで堪(たま)りませんが、事実なので、何はともあれ、小せがれの罪をお詫(わび)に参りました——といふのである。
今朝、許褚の報告を聞いてゐたところへ、またこの奇怪な訴へだつた。曹操は、悪感(さむけ)がして来た。
「どうあつても探し出せ。どうあつても打殺してしまはねばならん」
王宮の画工を招いて、左慈の肖像を画かせた。その人相書を原本として、各地へ亙(わた)り、数千の同じ図を配布した。
「召捕りました」
「捉へました」
三日もするうちに、各郡県から四、五百人も同じ左慈を差立てゝ来た。王宮の獄は、左慈だらけになつてしまつた。なぜならば、そのどれを見ても跛行(びつこ)で、眇目(すがめ)である。そして藤の花を冠に挿し、青い衣を着てゐる。
「よい/\。いちいち調べるのも煩(わづら)はしい」
曹操は命じて、城南の練兵場に、破邪の祭壇をしつらへさせた。そして羊や猪(いのこ)の血をそゝぎ、四、五百人の左慈を数珠(ジユズ)つなぎに曳いて来て、一斉に、首を刎(は)ねてしまつた。
すると、屍(かばね)の山から一(イチ)道(ドウ)の青気(セイキ)がのぼつて、空中に、霧の如く、ひとりの左慈が姿を見せた。左慈はそのとき、白い鶴に乗つてゐた。そして魏王宮の上を、悠々と飛翔(ひしよう)しながら、やがて掌を打ちたゝき、
——玉鼠(ギヨクソ)金虎(キンコ)ニ随ツテ、奸雄一旦ニ休(や)マン。
と、宇宙から呼ばはつた。
曹操は、諸将に下知して、雲も裂けよと、弓鉄砲を撃ちかけた。すると、たちまち狂風吹き起つて、沙(いさご)を飛ばし、石を奔(はし)らせ、人々は地に面を掩(お)ひ、天に眼をふさいだ。
この日、太陽は妙に白つぽく、雲は酔人の眼のやうに、赤い無数の虹を帯びてゐた。市人も、耕田の農夫も、
「之(これ)はいつたい何の兆(きざし)だらう?」
と、懼(おそ)れ怪しみながら、茫然、天地を仰いでゐたが、そのあひだに、城南の練兵場から、黄いろい砂塵が漠々と走つて、王宮の門を入つて行つたのを見た者があるといふ。
あとで聞けば。
練兵場に積みあげられた四、五百の屍が、またゝく間に、みなむく/\起出して、それが一かたまりの濛気(モウキ)となり、王宮の内へ流れ入ると、やがて池畔(チハン)の演武堂にはしり上り、四、五百体の左慈そのまゝな姿をもつた妖人が、あやしげな声を張り、奇なる手ぶり足ぶりをして、約一刻のあひだも、舞ひ狂つてゐたといふことだつた。
さしも豪胆な魏の諸大将も、これにはみな慄(ふる)へあがり、曹操もまた、諸人に扶(たす)けられて、後閣(うら)に狂風を避けたが、その夜から彼は、近侍の者に、
「何となく悪感(さむけ)がする」だの、
「風邪気味のせゐか、物の味がわるい」
などと云ひ始めてゐた。
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次回 → 神卜(しんぼく)(一)(2026年8月7日(金)18時配信)

