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曹丕はその後も、父曹操の近衆(キンジユ)たちへ、特に目をかけて、金銀を与へたり、徳を施したり、歓心を得る[こと]にぬかりなく努めたので、
「御嫡子にはもう仁君の徳を自然に備へておいで遊ばされる」
と、もつぱら彼の評判はよかつた。
曹操もやがて、すでに魏王の位にも昇ると世継(よつぎ)のことが、彼の意中にさし迫る問題となつてゐた。そこで或る時、思ひ餘つて、賈詡を召した。
「——曹丕をあとに立てるべきだらうか。それとも曹植がよからうか」
賈詡は、黙然たる儘(まゝ)で、敢て明答を欲しないやうな顔色だつた。が、再三、曹操から問はれるに及んで、たゞかう答へた。
「それは、私にお質(たゞ)しあるよりは、さきに亡んだ袁紹だの劉表などがよいお手本ではありませんか」
劉表も袁紹も、世子(セシ)問題では、大きな内政の癌(ガン)を作つてゐる。いづれも正統の嫡男を立てゝゐない。曹操は大いに笑ひ、
「いや、さうか。人間といふものは、案外、分りきつてゐる事に分別を迷ふものだ。はゝゝゝ。可(よし)、可(よし)」
心は決したのである。その後間もなく、
——嫡子曹丕ヲ以テ我ガ王世子(ワウセイシ)ト定ム
と、発表した。
冬十月。魏王宮の大土木も竣工した。その完成を祝ふ祝宴のため、府から諸州へ人を派して、
「各州、各々、特色ある土産の名物菓木珍味を、何くれとなく献上して、賀を表し候へ」
と、布達した。
呉の福建は、茘枝(レイシ)と龍眼の優品を産し、温州(ウンシウ)は柑子(カウジ)(蜜柑)の美味天下に有名である。魏王の令旨とあつて、呉では、最上な温州柑子四十荷を、はる/゛\人夫に担はせて都へ送つた。
舟行(シウコウ)馬背(バハイ)、また人の背、四十荷の柑子は、漸く、鄴都の途中まで来た。そして或る山中で、その人夫の一隊が荷をおろして休んでゐると、そこへ忽然と、片目は眇(すがめ)、片足は跛行(びつこ)といふ奇異な老人がやつて来て話しかけた。
「御苦労さまだな。みな疲れたらうに」
片輪の老人は、白い藤の花を冠(かんむり)に挿し、青い色の衣(ころも)を着てゐた。
人夫のひとりが冗談に云つた。
「爺さん。助けてくれ。これからまだ千里もあるんだ」
「よしよし」
老人は本気になつて、一人の人夫の荷を担つた。そして数百人のほかの仲間へ、
「おぬしらの荷は、みなわしが担つてやるぞ。わしの居る限り空身(からみ)も同様ぢや。さあ続いてこい」
風のやうに先へ走りだした。
一(イツ)荷(カ)でも失つては大変と、あとの者は、あわてゝ続いた。ところが、老人の云つたとほり、荷を担いでも、ほんとうに身軽のやうで、少しも重さを感じないので、疑ひ怪しまぬ者はなかつた。
別れ際に、人夫の宰領が、老人に素性をたづねた。老人は、答へて云ふ。
「わしは、魏王曹操とは、同郷の友で、左慈(サジ)、字(あざな)を玄放(ゲンハウ)といひ、道号は、烏角(ウカク)先生とも呼ばれてをる。曹操に会つたら、話してごらん。覚えてゐるかもしれないから」
やがて鄴都の魏王宮に着いた。温州柑子が届いたと聞いて、曹操は久しくその甘味(カンミ)を忘れてゐたので、歓んで早速、大いなる一箇を盆から取つて割つた。ところが、柑子の実(み)は空(から)だつた。怪しみながら三つ四つ取つて裂いてみたが、どれもみな殻ばかりで空しい。
「呉の奉行を質(たゞ)してみろ。これは何故かと」
奉行は調べられてもただ慄(おのゝ)くばかりで、その何故かを知らなかつた。ただ思ひ当ることゝして、途中、左慈といふ奇異な老人に出会つたことを語つた。曹操は聞いて、
「はてな?」
と、首を傾けてゐる。同郷の友といえば少年時代のことだ。あまりに渺(ベウ)として思ひ出すに骨が折れるらしい。
ところへ、王宮の門へ、
「大王にお目にかゝりたい」
と云つて来た一老人があるといふ。召入れて見れば、その左慈だつた。曹操は、彼を見るや否や、柑子の科(とが)を責めた。すると、左慈は一、二本しかない前歯を出して笑ひながら、
「そんな筈はない。どれどれ」
と、自身で柑子を取つて割つてみせた。芳香の高い果肉は彼の掌(て)から甘い雫(しづく)をこぼした。
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次回 → 柑子と牡丹(三)(ママ)(2026年8月4日(火)18時配信)

