ターミナルページはこちら(外部サービス「note」にリンク)
前回はこちら → 休戦(二)
***************************************
【前回迄の梗概】
魏の曹操、呉の孫権の間にあつて玄徳は蜀を平定した。魏の曹操は玄徳を蜀より追はんと先づ漢中に攻入つて陥落せしめたので脅威を感じた玄徳は呉と結び呉をして、魏の要害、合淝を攻めしめた。戦利あらず破れて儒須(ママ)に退いた呉軍は殺到した魏軍と激戦して再び敗れ、孫権は儒須(ママ)の下流へと落ちてゆく……
***************************************
呉に年々の貢(みつ)ぎ物をちかはせて来たことは、遠征魏軍にとつて、何はともあれ、赫々(カク/\)たる大戦果といへる。まして、漢中の地が、新に魏の版図に加へられたので、都府の百官は、曹操を尊んで、
「魏王の位に即いてゐたゞかうぢやないか」
と、寄々、議してゐた。
侍中(ジチウ)の王粲は、曹操の徳を頌(セウ)した長詩を賦(つく)つて、これを侍側の手から彼に見せたりした。
「さう皆が云ふなら……」
と、曹操も王位に昇らうといふ色を示してゐた。ところが諸人の議場で、尚書の崔琰(サイエン)が、
「御無用になさい。そんなばかな事をおすゝめするのは」
と、媚態派の人々を諫めた。
諸官は怒つて、
「ばかな事とはなんだ。貴様も丞相から睨(にら)まれて、荀彧や程昱(ママ)みたいな終りを遂げたいのか」
崔琰も、負けてゐずに、
「およそ、媚(こ)び諂(へつら)ふ輩(やから)ほど、主を害するものはない。むかしから君を亡(ほろぼ)す者は、敵でなくて——」
「何だと」
大喧嘩になつた。
曹操の耳に聞えた。もちろん媚態派の佞臣(ネイシン)からである。曹操は憤怒(フンヌ)して、
「舌でも嚙め」
と、獄へ抛(はふ)り込ませた。
崔琰は、曳かれながらも、
「漢の天下を奪ふ逆賊は、つひに曹操と極(きは)まつた」
と、大声で罵りちらした。
それを聞くと曹操は、さつそく廷尉(テイヰ)に命じて、
「やかましいから黙らせろ」
と、いひつけた。
崔琰の声はもう聞えなくなつた。廷尉が棒をもつて獄中で打殺してしまつたのである。
建安二十一年五月。もろ/\の官吏軍臣は、帝に奏して、詔(セウ)を仰いだ。
——魏公曹操、功高ク、
徳ハ宏大ニシテ、天ヲ極メ、
地ヲ際(かぎ)ル。
伊尹(イイン)周公モ及バザルコト遠シ。
ヨロシク王位ニスヽメ、
魏王ノ位ヲ賜ハランコトヲ。
と、いふのである。
帝(テイ)はやむなく、鍾繇に詔書の起草を命じ、すなはち曹操を冊立して、魏王に封じ給うた。
詔(みことのり)に接すると、曹操は固辞して、辞退の意を上書する。帝(テイ)は又、かさねて別の一詔をお降(くだ)しになる。そこで初めて、
「聖命もだし難ければ」
と、曹操は王位をうけた。
十二旒の冠(かんむり)、金銀の乗用車、すべて天子の儀を倣(なら)ひ、出入には警蹕(ケイヒツ)して、こゝに彼の満悦なすがたが見られた。
さつそく、鄴都には、魏王宮が造営された。こゝにはすでに玄武池(ゲンブチ)がある。曹操の親衛隊は、こゝで船術を練り、弓馬を調練してゐた。雄大な魏王宮は、玄武池のさざ波に映じて、この世のものと思へなかつた。
曹操には四人の子がある。みな男子だつた。曹丕(サウヒ)、曹彰(サウシヨウ)、曹植(サウシヨク)、曹熊(サウユウ)の順だ。けれども大妻(タイサイ)丁(テイ)夫人の子ではなかつた。側室から出た者ばかりである。
このうちで、曹操が、(わが世嗣(よつぎ)は、彼に)と、ひそかに思つてゐたのは三番目の曹植だつた。曹植は子建(シケン)と字(あざな)し、幼少から詩文の才に長(た)け、頭脳はあきらかで、また甚だ上品な風姿をもつてゐる。
嫡男の曹丕は、
(……怪(け)しからん)
と、不満に思つた。曹家は自分が嗣(つ)ぐべきであると極(き)めてゐるからだ。中大夫(チウタイフ)の賈詡をそつと招いて、何かと相談した。
「……かうなさいませ」
賈詡は囁(さゝや)いた。その後、曹操が遠い軍旅に立つ時がきた。三男の曹植は、詩を賦して、父との別を惜(をし)んだ。
だが曹丕は、賈詡にいはれたとほり、たゞ城外まで見送りに立つて、涙をふくみ、黙然、父が前を通るとき、眸をこらして見送つた。
曹操は、あとで考へた。
「詩は巧み、珠玉の字をつらねてゐるが、曹植のその才よりも、曹丕の無言のはうが、もつと大きな真情をもつてゐるものぢやないかな?」
それから彼の子を観る眼が又すこし変つた。
***************************************
次回 → 柑子(かうじ)と牡丹(ぼたん)(一)(2026年8月3日(月)18時配信)
なお、日曜日については夕刊が休刊のため、配信はありません。

