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十万の味方を見ても、孫権以下の諸将は、みな重傷軽傷を負つてゐるので、
「けふの戦もこれまで」
と、退(ひ)く事しか考へてゐなかつたが、陸遜は、断じて、その唸(うめ)きに活を入れた。
「このまゝ総退軍しては、曹操は呉に対して、いよいよ必勝の信念を持つ。また味方の兵も、魏は強しと、ふかく彼を恐れ、勝を忘れるにいたるであらう。——退(ひ)くにせよ、呉にもなほ後備の実力のあることを示してからでなければならん」
陸遜は壮語して、孫権や重傷者は船中にのこし、その餘の残兵にこれを守らせておき、新手の十万をすべて岸へ上げて、呉のために死せよと命令した。
まづ曹操は、この新手の堅陣が射る確(たしか)な矢風に射立てられ、
「こはそも如何に」
形勢の悪化に、狼狽せざるを得なかつた。
「敵はみだれ出したぞ」
陸遜は、彼の怯(ひる)み立つた一刹那、総突撃を敢行した。果然、十万の兵は、背を見せる魏兵へ咬(か)みついた。突く、蹴る、刺す、撲る、踏み潰す、折重なる、組み合つたまゝ水へ溺れる。
何しても、その兵数に於て、その新手の精気に於て、陸遜軍は圧倒的にすぐれてゐた。打取つた盔(かぶと)首(くび)だけでも七百餘級、雑兵に至つてはかぞへるにもかぞへきれない。分捕の馬匹だけでも千餘頭あつた。
かくて陸遜は、魏の勢を遠く追つて、完全なる呉の勝利を取(とり)回(かへ)したばかりでなく、けふ孫権が大敗した戦場まで行つて、味方の死体や旗や夥(おびたゞ)しい陣具まできれいに収容して来た。
その結果、部下の陳武は討たれ、董襲は水中に溺れ、そのほか日頃の寵臣も無数に亡き数に入つたのを知つて、孫権は声をあげて哭き、
「せめて、董襲の死骸ともさがし求めよ」
と、水練に長じた者を入れて、その屍(かばね)を求め、篤く船中に祭つて、引揚げたといふ。
さて、濡須城に帰るや、彼はまた一日、営中に宴をもうけて、みづから盃(さかづき)を取り、
「周泰。汝は呉の功臣だぞ。今日以後、われは汝と栄辱を倶(とも)にし、生命のあるかぎり此(この)度の働きは忘れない」
と云ひ、その盃(さかづき)を彼の手に持たせた。
そして又、
「先頃の傷はどんなか」
と、肌を脱がせて、その痕(あと)を見た。周泰は、大勢の中なので憚(はゞか)つたが、主命のまゝに肌を脱いで示した。見れば満身縦横に腫れてゐる創(きづ)口(ぐち)は、まだ熱と紅色をふくんで、触(ふ)るゝもいたましいばかりである。
「あゝ、この創(きづ)痕(あと)の一つ/\がみな汝の忠魂と義心を語つてゐる。みなも見よ。武人の亀鑑(キカン)を」
と、孫権は、周泰の背をなでゝ、果しなく彼の誠(まこと)を称(たゝ)へた。
彼は、周泰の功を平常にも耀(かゞやか)すべく、羅(うすもの)の青い蓋(ガイ)を張らせ、「陣中に用ひよ」と与へた。
もちろん陸遜以下そのほかの諸将にも、各々、恩賞は行はれ、依然、濡須の堅塁を誇つて、
「呉の強さはかくの如し。北国の魏賊、何かあらん」
と、全軍の末輩にいたる迄(まで)、意気いよいよ昂(たか)かつた。
対陣一ケ月の餘になつた。
曹操は、そのあひだ、みだりに動かなかつたが、黙々と、戦備を充実し、兵力を加へ、更に大規模な次期の作戦をゑがいてゐるやうに思はれた。
呉の老臣、張昭が云つた。
「決して、楽観をゆるしません。何といつても、曹操は曹操です。如(し)かず、歩(ぶ)のよいところで、和議をおはかりあつては」
孫権のほうから、やがて歩隲が、その使に立つた。曹操も、この辺がしほどきと考へたか、「中央の府に対し、毎年、貢(みつぎ)を献じるといふならば」と案外、受けやすい条件を出して答へたので、和睦は忽ちまとまつた。
けれど、真の平和の到来でないことは、魏にも呉にも分つてゐた。曹操は全軍を引ゐて都へ帰り、孫権は秣陵へ引揚げたものゝ、その前線濡須の口も、魏の境界、合淝の守りも、双方ともいよ/\堅固に堅固を加へ合ふばかりだつた。
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次回 → 和義(一)(2026年8月1日(土)18時配信)

