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曹操は百戦練磨の人。孫権は体験少く、やゝもすれば、血気に陥る。
いまや、儒須(ママ)の流域をさかひとして、魏の四十万、呉の六十万、ひとりも戦はざるなく、全面的な大激戦を出現したが、この、天候が呉に利さなかつたといへ、呉は主将孫権の軽忽なうごきに依つて、その軸枢(ヂクスウ)をまづ見失ひ、彼自身もまた、まんまと、張遼、徐晃の二軍に待たれて、その包囲鉄環のうちに捉はれてしまつた。
曹操は小高い阜(をか)の上から心地よげに見てゐた。
「今ぞ。孫権を擒(とりこ)にするのは」
それは自分を励ました声と、許褚は彼のそばを去るや否、馬をとばして、そこへ馳つけ、叫喚一声、血漿けむる中へ躍り入つた。
呉兵の死屍はいやが上にも累々と積まれて行つた。為に、濡須の流れも紅(くれない)になるかと怪しまれ、餘りの惨状に、主将孫権のすがたすら、どこにゐるのか誰(たれ)が誰(たれ)なのか、見分けもつかぬばかりだつた。
呉の一将周泰は、その中をよく奮戦して、一方に血路をひらき、河流の岸までのがれて来たが、顧みると、主君孫権はなほ囲みから出ることができず、彼方にあつて揉みつゝまれてゐる様子。
「周泰はこゝにゐますつ。周泰はこれにありつ。早く此方へ来給へ」
呼ばはりつゝ、周泰は敵の背後へまはつて、その包囲を脅やかし、一角の崩れを見ると、
「いざ、いざ、かうなつては、何事もあとに任せて」
と、孫権と駒を並べ、殆ど、わき目もふらず、敵の矢道を走り抜けた。
そこへ折よく、呂蒙の一軍が、中軍の大敗を案じて引つ返して来た。周泰は、
「舟をつ。舟をつ」
と水へ向つて声を嗄(か)らし、ともあれ孫権を、舟へ移した。
けれど、あとの戦場は、なほ土煙りや血煙りに、濛々としてゐる。孫権は、悲痛な声してさけんだ。
「徐盛はどうしたらう!徐盛は……?」
「見て来ませう」
周泰は、ふたゝび戻つて、むらがる魏の人馬の中へ、没していつた。孫権は、思はず、噫(あゝ)と、嘆賞して、
「自分を救ひ出す為、血路をひらいては、又あとへ戻ること三(み)度(たび)。更にまた、徐盛を助けるために、敢然、死地へ入つて行つた。——天よ、わが忠勇の士に、加護をたれ給へ」
眉をふさいで、禱(いの)るが如く、しばしそこに待つてゐた。
周泰は帰つて来た。しかも徐盛を扶(たす)けて。
けれど二人とも、満身(マンシン)朱(あけ)にまみれ、そこの水際まで来ると、
「残念」
と云ひながら、はや歩む力もなく坐つてしまつた。
呂蒙はその間に、射手(いて)百人の弓陣を布いて、追ひ迫つて来る敵を喰ひとめ、更に、その弓陣を、船上に移し、孫権の身を守りながら、徐々と下流へ退陣した。
こゝに悲壮な討死をとげたのは、呉の陳武だつた。彼は龐徳の勢につゝまれて、退路を失ひ、次第に山間の狭隘(ケフアイ)へ追ひこまれた末、つひに龐徳と闘つて首を奪(とら)れた。それも鎧(よろひ)の袖を灌木の枝に絡まれて、あなやといふ間に、最期の善戦も充分にせず、龐徳の一撃に討たれたのであつた。
曹操は、前夜、自己の中軍を攪乱(カクラン)された不愉快な思ひを、けふは万倍にもして取返した。孫権がわづかな将士に守られて、濡須の下流へ落ちて行くと見るや、
「あれ見失ふな」
と、自身江岸に沿つて、士卒を励まし、数千の射手に、絶好な的を競はせたが、この日の風浪は、この時には孫権の僥倖となつて、矢はこと/゛\く黒風白沫(コクフウハクマツ)に弄(もてあそ)ばれ、つひに彼の身にまでとどく一矢もなかつた。
その上、いよ/\広やかな河の合流点まで来ると、本流長江のほうから呉の兵船数百艘が溯(さかのぼ)つて来た。これなん一族の陸遜がひきゐて来た十万の味方だつた。
孫権は初めて蘇生の思ひをなした。
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次回 → 休戦(二)(2026年7月31日(金)18時配信)

