吉川英治『三国志(新聞連載版)』(871)遼(れう)・来々(らいらい)(一)
昭和17年(1942)7月26日(日)付掲載(7月25日(土)配達)
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合淝の城をあづかつて以来、張遼はこゝの守りを、夢寐(ムビ)にも怠つた例(ためし)はない。
こゝは、魏の堺、国防の第一線と、身の重責を感じてゐたからである。
ところが、呉軍十万の圧力のもとに、前衛の晼城は一(ひと)支(さゝ)へもなく潰(つい)えてしまつた。洪水のやうな快足をもつて、敵は早、この合淝へ迫ると、急を告げる早馬は、櫛(くし)の歯をひくやうだつた。
また、漢中に出征中の曹操からも、変を聞いて、薛悌(セツテイ)といふ者を急派して来た。これは曹操の作戦指導を、匣(はこ)に封じて、齎(もたら)して来たものだつた。
「丞相の作戦には、守備とあるか、籠城せよとお示しあるか。はやくお開き」
同じ城にある副将の楽進と李典は、片唾(かたづ)をのんで、張遼の開ける匣(はこ)を見てゐた。
「では聞き給へ、読み聞かせよう。……呉ノ積極ニ出デ来レル所以(ゆゑん)ハ、要スルニ予(ヨ)ノ遠ク漢中ニ在ルノ虚ヲ窺フモノナリ。故ニ、呉ノ勢ミナ魏城ヲ軽ンズ。戦ハズシテ唯(たゞ)守ラバ、愈々(いよ/\)彼等ヲ誇ラスノミ。又、出テ十万ノ寄手ト野戦ヲ構フルハナホ拙ナリ。即チ、敵近ヅカバ、ソノ序戦ニ於テ、彼等ノ鋭気ヲ一撃シテ挫(くじ)キ、味方諸人ノ心ヲマヅ安泰ニ固メ置キテ後、固ク城ヲ閉ヂ、防備第一トシテ、必ズ出テ戦フ勿(なか)レ。おわかりか。かういふ御指令であるが」
「…………」
李典は、日頃、張遼と仲がわるい。そのせゐか、黙りこんだ儘(まゝ)返辞もしない。
一方の楽進は、すぐ云つた。彼の意見は反対である。
「由来、守る戦で、勝てた戦はない。ましてこんな小勢で」
張遼はみなまで聞ゐていなかつた。この際、議論は無用と肚は極(きま)つてゐたからである。
「議論がやりたいなら、一人で議論してゐ給へ。餘人は知らず張遼には、私心をもつて君の言を廃(や)めることはできない。——漢中からの御指揮どほり、我はまづ城を出て、一戦に敵の出鼻をたゝき、その後は、静(しづか)に籠城にかゝるのみだ」
云ひ捨てゝ、馬を呼び、はや戦場へ馳向はうとした。
すると、それまで黙然としてゐた——日頃は彼と不和な李典が、ぬつくと起(た)つて、
「さうだ、これは国家の大事、豈(あに)、わたくしの心に囚(とら)はれんや」
と決然、張遼につゞいて、城門から馳出して行くのを見て、楽進もひとりで議論してゐるわけにもゆかず、続いて城外へ馬を出した。
呉の大軍は、すでに逍遙津(セウエウシン)(安徽省・合淝附近)まで来てゐた。先鋒の甘寧軍と、魏軍の楽進とのあひだに、小戦闘が行はれたが、魏兵は忽ち潰走したので、呉侯孫権は、
「われに当る者あらんや」
といよ/\勝(かち)驕(おご)つて前進をつゞけてゐた。
そして、逍遙津の地を離れかけた頃、突然、芦荻(ロテキ)のあひだから連珠砲を轟かして、右からは李典、左からの軍は張遼の旗が現れ、ふた手が渦巻いて、孫権の中軍へ不意討して来た。
先手の呂蒙や甘寧の軍は、餘りに敵を急追して、その快足にまかせた儘(まゝ)、中軍と距(へだ)ち過ぎてゐる。
後陣の綾統は、まだ逍遙津の一水を、全部渡河し限(き)つてゐないらしい。
だが、はるかに、中軍の旗が、裂かされる如く、乱れ立つたのを見て、綾統は、
「すは。何事か、凶事か?」
と、部下をも置き捨て、単騎、これへ馳けつて来た。
見れば、孫権以下、中軍の旗本七百ばかりは、敵の奇襲に包囲されて、まつたく殲滅(センメツ)寸前の危機にあつた。
綾統は、声をあげて、乱軍のなかの孫権へ叫んだ。
「君つ、君つ、わが君。雑兵ごときを対手となし給はず、ひとまづ小師橋(セウシケウ)を渡つて、お退(ひ)きあれ」
耳へとゞいたか、孫権はふり向いて、
「おゝ、綾統か。案内せよ」
と云ひながら、此方へ向つて、一目散に馳けて来た。
だが、二人して小師橋(セウシケウ)迄(まで)遁(のが)れて来たはいゝが、すでに橋の南一丈ばかりは、敵の手に破壊されてゐた。
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[註記]文中の「晼城」は原典では日偏ではなく白偏(白+宛)につくります。文字コード中に存在しない文字のため「晼」で代用しています。また、「白+宛」は、正史『三国志』呉書呉主伝や甘寧伝、淩統伝等に登場する皖を指すと思しく、事実、『三国志演義』の古本である嘉靖壬午序本等は「皖」に作ります。しかし、『演義』本邦初訳である『通俗三国志』の底本と目される『三国志演義』李卓吾批評本は「白+宛」に作っており、『通俗三国志』ひいては、これを参照する吉川三国志も「白+宛」という表記を踏襲しているものだと思われます。
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なお、日曜日については夕刊が休刊のため、配信はありません。

