吉川英治『三国志(新聞連載版)』(870)剣(けん)と戟(ほこ)と楯(たて)(二)
昭和17年(1942)7月25日(土)付掲載(7月24日(金)配達)
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荊州の領土貸借問題は、両国の国交上、多年にわたる癌であつたが、こゝに漸く、その全部とまではゆかないが、一部的解決を見ることができた。
そこで、三郡の領土接収が無事にすむと、呉と蜀は、初めて修交的な関係に入り、呉は、大軍を出して、陸口(リクコウ)(漢口上流)附近に屯し、
「まづ、魏の晼城を取つて、つゞいて合淝を攻めん」
と、大体の作戦方針をさう極(き)めた。
しかし晼城の攻略は、決して楽でなかつた。
呉としては、呂蒙、甘寧の二大将を先手とし、蔣欽、潘璋の二軍を後陣に、しかも中軍には、孫権みづから、周泰、陳武、徐盛、董襲なんどの雄将と智能を網羅した優勢をもつてそれに臨んだのであるが、それにしても晼城ひとつ落すために払つた犠牲はかなりなものであつた。
満城の血潮もまだ乾かぬ中で、孫権は、占領の日、旺(さかん)な宴(エン)をひらき、
「戦はこれからだ。しかも幸先(さいさき)はいゝ」
と、士気を鼓舞してゐた。
ところへ、餘杭(ヨカウ)の地から、遅れ走(は)せに、綾統(レウトウ)(ママ)が着いて、中途から宴(エン)に加はつた。
「残念なことをした。もう二日も早く着いてゐたら、この一戦に間に合つたものを」
と、綾統(ママ)が左右の人々に語つてゐると、
「いや/\、まだ先には、合淝の城がある。合淝を攻めるときは、それがしの如く、一番乗をし給へ」
と、上座の方から慰め顔に云つた者がある。
見ると、甘寧であつた。
甘寧は、こんどの晼城陥落の際、一番乗をしたので、けふ祝賀の宴に、呉侯孫権から錦の戦袍(ひたゝれ)を拝領し、座中第一の面目をほどこして、一倍、酔ひ耀(かゞや)いてゐたのである。
「……ふふん。甘寧か」
綾統(ママ)は、鼻さきで笑つた。さつきから上機嫌な甘寧の容子は、たれの眼にも武功自慢に見えた。——のみならず、綾統は、彼と眸を見あはせた途端に、亡父(ちち)のことを思ひ出してゐた。むかし甘寧に討たれて死んだ父のことがふと胸を掠(かす)めた。
(……うぬ)と思つたせゐか、甘寧の方でも、
(この青二才が)と、いはぬばかりな眼光を与へて、
「綾統(ママ)。何を嘲(わら)ふか」
と、色を変へた。——いや、綾統(ママ)が無意識に手をかけた剣の柄(つか)を、咎(とが)めるやうに睨(ね)めつけた。
凌統はハツとした。まつたく時も場所〔がら〕も忘れて、剣にかけてゐた自分の手に、気がついたからだつた。
「——あいや、私にはまだ武勲がないので、せめて座興に、剣の舞でも舞つて、諸兄の労をお慰め申さんかと存じまして」
云ひながら彼はすぐ起(た)つて、剣舞をしはじめた。甘寧も、さてはと、うしろの戟(ほこ)を把(と)るや否、
「いや面白い。君が剣をもつて舞ふなら、それがしは戟(ほこ)を以て興を添へん」
と、両々たがひに閃々たる光を交へ、舞ふと見せて、実は、心中の遺恨を刃(やいば)にふくんで、隙(すき)あらば父の仇(あだ)を果さん、隙あらば返り討(うち)に斬り捨てんと——虚実を尽(つく)し合つてゐた。
「やあ、ちと面白すぎる。まるで炎と炎のやうだ。俺が水を注(さ)してやらう」
素(ス)破(ハ)、大事と見たので、呂蒙が楯(たて)を持つて、ふたりの間へ飛びこんだ。そして巧(たくみ)に、戟の舞と、剣の舞を、扱(あしら)ひつゝ、舞ひ旋(めぐ)り舞ひ旋り、やうやく事無くその場を収めた。
始めは、何気なく見てゐたが、途中から孫権も気づいて、酔も醒めんばかりな顔してゐた。しかし呂蒙の機転に、ふたりとも血を見ずに、座へもどつたので、彼はほつとしながら、
「さてさて、鮮(あざや)かに舞つたな。ふたりとも優雅(たをやか)なものだ。杯を与へる。揃つて、わが前へ来い」
と、さしまねき、両手の杯を、同時にふたりの手に授けて、
「いまや、呉は初めて、魏の敵地を踏んだところだ。呉の興亡を担(にな)うてゐる御身等には、毛頭私心などあるまいと思ふが、わたくしの旧怨などは、互に忘れてくれよ。いゝか、ゆめ思ふな」
と、くれ/゛\諭した。
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