吉川英治『三国志(新聞連載版)』(865)漢中併呑(一)
昭和17年(1942)7月19日(日)付掲載(7月18日(土)配達)
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(——急に、魏公が、あなたと夏侯惇のおふたりに内々密議を諮りたいとのお旨である。すぐ府堂までお越しありたい)
賈詡からかういふ手紙が来た。使をうけたのは、曹操の一族、曹仁である。
「何だらう?」
曹仁は、洛中の邸(やしき)から、すぐ内府へ急いだ。
こゝの政庁の府でも、曹仁は魏公の一門に連なる身なので、肩で風を切るやうな態度で、どこの門も、大(おほ)威(ゐ)張(ばり)で通つた。
すると、曹操の居る中堂の入口まで来ると、
「こらつ、待て」
と、何者かに誰何(スヰカ)された。
見ると、許褚が、狛犬(こまいぬ)のやうに、剣をつかんで、番に立つてゐる。咎(とが)めたのはもちろん彼である。
「なんだ、許褚」
「なんだではない。閣下には、どこへお通りあるつもりか」
「魏公にお目にかゝりに来たのだ。わしの顔を知らぬ貴様でもあるまいに、何で咎めるか」
「魏公には唯(たゞ)今、お昼寝中である。通つてはならん」
「餘人なら知らぬこと、わしが通るに、何でさしつかへがあらう。お昼寝中でもかまはん」
「いや、いかん」
「何だ。上官に対して。——おれは魏公の肉親だぞ」
「たとひ、どれほど親しい御方であらうと、断じて、君のおゆるしを仰がぬうちは、御身辺へ寄せることは相成らぬ。許褚、身は微賤なりとはいへ、君の内侍(ナイジ)を承り、御身辺の警固を仰せつけられて、こゝに在るからには、その職権を以て、固く拒む。……魏公がお目(め)醒(ざ)め遊ばしたら、内意を伺つて、御案内する。それまでは外でお控へなさい」
どうしても通さない。頑として曹仁を入れなかつた。
やむなく、待つてゐるうちに、漸く曹操は昼寝から起きたとある。曹仁はやつと通されて、魏公に会ふと、
「いや、けふはひどい目に遭つた。許褚といふやつは、実に頑固な男ですな」
と、有(あり)のまゝ話した。
曹操は聞くと、
「それは、虎侯(ココウ)(許褚)らしい。彼のやうな男がゐればこそ、予も枕を高くして臥すことができる」
と、却(かへ)つて、彼の忠誠を大いに賞(ほ)めた。
間もなく、夏侯惇も来た。賈詡も顔を出した。
「ほかでもないが」
と、曹操は、三名を揃へてから、けふの用向きを語り出した。
「近ごろ、よく/\考へると、どうも蜀をあのまゝ放つておくのは、将来の大患だと思ふ。何とか、いまの内に、玄徳を蜀から切離す方法はないだらうか」
夏侯惇がすぐ答へた。
「それを為すには、まづ問題は、漢中といふことになるでせう。漢中は西蜀の扉(と)のやうなものですから」
「大きにさうだが、漢中の状況はどうだ」
「いまならば、一(イツ)鼓(コ)して打破れませう。漢中には、どこといつて、支持する国がほかにありませんから」
「では、西征の大旅団を、至急編制して、まづ張魯を討つとするか」
「あそこを取れば蜀の兵は、扉(と)の口を封じられた糧倉の鼠みたいなもので、中で居(ゐ)喰(ぐひ)をつづけてゐても、その運命は知れたものです」
それは賈詡の言だつた。
漢中は、まもなく、騒動した。就中(なかんづく)、張魯とその一門は、連日、軍議に追はれた。
「——魏の大軍が、三手にわかれて来るとある。一手は夏侯惇、一手は曹仁、一手は夏侯淵と張郃。そして曹操は自身、その中軍にあるといふ」
「どうして防ぐか」
「まづ、漢中第一の嶮要、陽平関を中心に、守るしかあるまい」
張衛を大将に、楊昂、楊任など、続々、漢中から前線へ発した。
陽平関は、その左右の山脈に森林を擁し、長い裾野には、諸所に嶮岨もあり、一望雄大な戦場たるにふさはしかつた。
関を距(へだ)つこと十五里。すでに魏の西征軍の先鋒は、陣地を構築しはじめてゐた。
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