吉川英治『三国志(新聞連載版)』(863)冬葉(とうえふ)啾々(しう/\)(二)
昭和17年(1942)7月17日(金)付掲載(7月16日(木)配達)
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朝臣のうちにも、曹操のまはし者たるいわゆる「視(み)る目(め)嗅(か)ぐ鼻」はたくさん居る。
すぐ密告して、曹操の耳へ、かう伝へた者がある。
「何かそゝくさした様子で、穆順が内裏(ダイリ)を出て、伏完の宅(いへ)へ使に行つたやうです」
勘のよい曹操には、すぐ何か〔ぴん〕と響くものがあつたに違ひない。彼は、わづかな武士を伴(つ)れて、自身、内裏の門に佇(たゝず)み、穆順がもどつて来るのを待つてゐた。
もう深更だつた。
穆順は何も知らずに、帰つて来た。門の衛士(ヱジ)には、出るとき賄賂をやつてある。あたりに人影はない。すた/\と内裏の門へさしかゝつた。
「待て/\」
ふいに物蔭から呼び止める声がした。ふと横を見れば、曹操が立つてゐるのだ。穆順はゾツとして毛(け)孔(あな)をよだてた。
「何処へ参つた」
「は。……はい」
「はいではない。返辞を求めるのだ。今頃、何処へ使に出たか」
「実はその、御(お)后(きさき)さまが、夕刻から遽(にはか)に御腹痛をお催しあそばしたので、てまへに医師をつれて来いとの仰せに、医師を求めに参りました」
「うそをつけ」
「いえ。ほ、ほんとです」
「宮中にも典医はをる。なにしに市(いち)へ医を捜しにゆく要があらう。ほかの医者だらう、汝が、求めに行つたのは」
闇のほうへさしまねゐて、武士達を呼び、
「こいつの体を検(あらた)めろ」
と、曹操は命じた。
武士達は、穆順の衣服を剝(は)いで、足の先まで調べたが、一(イチ)物(モツ)も出ないので、科(とが)める〔かど〕もなく、遂に、彼を放した。
虎の口をのがれたやうに、穆順は衣服を着直すとすぐ走りかけた。
すると、頭(かしら)に被(かぶ)つてゐた帽子が、夜風に落ちた。
あわてゝ拾ひかけると、
「こらつ、待て」
曹操は、自分でその帽子を取つて、仔細に検(あらた)めた。
帽子の中からも、何も出なかつた。汚い物を捨てるやうに、
「行け」
と、投げ返してやると、穆順は、両手に受けて、真蒼になつた顔の上に、それを被(かぶ)つた。
「いやいや、まだ行くな」
曹操は、三度呼びとめた。そして今度は、穆順が被(かぶ)り直した帽子を引(ひき)ちぎつて、その下の髻(もとどり)を、髪の根まで搔(かき)分けた。
「果して!」
曹操は舌を鳴らした。一通の紙片があらはれたのだ。細字で綿密に書いてある。伏完の筆蹟で、むすめの伏皇后にあてたものであつた。
——こよひ秘(ひそ)かな内詔を拝して涙にくれた。何事も時節であるから、もうしばらく時を待つがよい。自分には期するところがある。遠き慮(おもんぱか)りを以て、蜀の玄徳と語らひ、漢中の張魯を誘(いざな)ひ、魏へ侵略の鉾を向けしむれば、曹操はかならず国外へ出て、兵事政策も総(すべ)て一方へ傾く。その虚を計つて、内に密々同志を結び、一挙に大義を唱へて大事を成すならば、きつと成功を見るは疑ひもない。帝の御(ご)宸襟(シンキン)もそのときには安んじ奉ることができよう。それまではかならず人に色を気どられ給ふな。
文意はあらまし右のやうなものだつた。怒りの極度といふものは却(かへ)つて氷塊の如く冷やかである。曹操は一笑をたゝへて、伏完の返簡を袖に納めると、
「そいつを拷問にかけろ」
と、命じて、府へ立(たち)帰つた。
夜明け頃、獄吏が、階下にひざまづいて、
「穆順を拷問にかけて、夜どほし責めましたが、一言も吐きません」
と、吟味に疲れた態(テイ)で云つた。
一方、伏完の宅を襲つた兵達は、帝の内詔を発見して持つて来た。曹操は、冷然と、武将に命をさづけた。
「伏完以下、彼の三族を召(めし)捕つて、獄につなげ。縁故の者は一名も餘すな」
さらに、御林将軍(ギヨリンシヤウグン)の郄慮(ゲキリヨ)に命じては、内裏へ入つて、皇后の璽綬(ジジユ)を奪(と)りあげ、平人(ひらびと)に落して罪をあきらかにせよと云つた。
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