吉川英治『三国志(新聞連載版)』(853)馬超と張飛(六)
昭和17年(1942)7月5日(日)付掲載(7月4日(土)配達)
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その人は、李恢(リクワイ)、字(あざな)は徳昂(トクカウ)といひ、蜀中の賢人といはれ、士民の尊敬も浅くないので、綿竹の城にある趙雲からわざ/\書簡をそへて紹介して来たものであつた。
李恢は玄徳に云つた。
「孔明軍師がこちらへお出でになつたでせう」
「昨夜、関中に着いた」
「馬超を招き降(くだ)さんが為ではありませんか」
「どうしてわかる」
「俗に、傍(おか)目(め)八(ハチ)目(モク)といふではありませんか。第三者として傍観してをれば、孔明軍師がけふ迄(まで)のあひだに、漢中の張魯にたいして、どんな手〔だて〕を打つてをるかは、楽屋から舞台を覗(のぞ)いてゐるやうによくわかるものです」
「待て待て。それは措いて、御辺はこゝへ何しに来たか」
「馬超を説かんとして来ました」
「ふうむ。……馬超を説いて、予の帷幕に招いて来る自信があるか」
「あります。孔明軍師を除いては、おそらく、その使をなすものは、私のほかにありますまい」
「しかし、御辺はさきに、劉璋を諫めた人と聞ゐてをる。いま又、この玄徳に言をなして、予のために働かうといふ。いつたい御辺は、劉璋に忠ならんとするのか、玄徳に仕へんとするのか」
「良禽(レウキン)は木を択(えら)ぶ。そんなことは訊くだけ野暮ではありませんか。皇叔、あなたも蜀を喰ひ潰しに来たのではないでせう。蜀中に仁を施しに来たのではありませんか」
孔明は衝立(ついたて)のかげに聞いてゐたが、このとき現れて、
「李恢、私に代つて、馬超の陣へ行つてくれ。御身なら必ず使命を果すだらう」
と、云つて、玄徳にゆるしを求め、且(かつ)、書簡を仰いだ。
玄徳の一書を持つて、李恢はやがて、関外へ出て行つた。馬超は、その本陣で、彼の訪問をうけると開口一番に、
「汝は、玄徳に頼まれて来た説客であらう」
と、云つた。
李恢は悪びれもせず、「さうだ」と、うなづき、
「然し、頼まれて来たのは、玄徳ではないよ」
「では、誰(たれ)だ」
「御身の亡き父親から」
「なに」
「不孝の子をよく訓(をし)へてくれとな。……夢でだよ」
「この風来人め、詭辯(キベン)をやめよ。あの匣(はこ)の中には、つい近頃、磨(と)がせたばかりの宝剣があるぞ」
「幸に、その剣が、さういふ御自身の首を試みるものにならなければよいが」
「まだいふか」
「前途ある青年馬超を惜(をし)むのあまりわしは云ふ!聞き給へ馬超、いつたいおぬしの父親は誰(たれ)に殺されたのだ。——抑々(そも/\)、西涼の兵馬をあげて、倶(とも)に天をいたゞかずと、神明に誓つた当の仇敵は、魏の曹操ではなかつたか」
「………」
「その曹操のため、敗れて漢中に奔(はし)り、張魯のため、よい道具につかはれたあげく、一族の楊松などに讒(ザン)せられ、腹背に禍をうけ、名もなき暴戦をして、可惜(あたら)、有為の身を意義もなく捨て果てようとは。……さてさて、呆れた愚者。辱(はぢ)知らず。父の馬騰もあの世で哭(な)いてゐるだらう」
「……うゝむ」
「何が、うゝむだ。思へ、泉下(センカ)の父の無念を。……たとへ御身が玄徳に勝つたところで、歓ぶものは誰(たれ)だか知つてをるか。それは曹操ではないか」
「賢士。目がさめた。ゆるしたまへ。あゝ誤つた」
馬超は、がばと、身を崩して、李恢のまへに哭(な)き仆(たふ)れた。
このとき李恢は満身から声を発して、
「悪いと気がついたら、なぜ幕外に潜めてをる兵を退けんかつ」
と、あたりを睨まへた。
隠れてゐた武士たちは胆をつぶして、こそ/\消えた。李恢は、馬超の腕をとつて確(しか)と自分の腕に拱(く)み、
「さあ、行かう。劉玄徳は御身を待つてゐる。決して、辱(はづかし)めはしないよ。わしが附いてゐる。わしにまかせておくがいゝ」
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