吉川英治『三国志(新聞連載版)』(852)馬超と張飛(五)
昭和17年(1942)7月4日(土)付掲載(7月3日(金)配達)
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「馬超と張飛と、このまま、幾たびも戦わせておゐたら、かならず一方は討死するにきまつてゐます。両方とも、稀世の英傑。これを殺すことは畏れながらあなたの御徳望を損ねませう」
孔明はまづ、その愚を止めた。玄徳ももとより同じ気持だつた。しかし、敵の英傑を助けるには、その人を、味方に招く以外に方法はない。さもなければ、味方の禍(わざはひ)であり、あらゆる手段を以てしても、これを除く工夫をしないわけにゆかない。
「——天恵です、それに一案があるのです。かならず馬超はお味方へ招いてみせます。私がにわかにこれへ来たのもその為にほかならないのです」
孔明は云ふ。そして、疑ふ玄徳にむかひ、その理由ある所以を次のやうに説明した。
「このところ、馬超が、つねにも増して、強いわけは、今や彼の立場は、進んでも敵、退いても敵、進退両難に陥つてゐるためで、いはゆる捨身の奮迅だからです」
かう冒頭して——
「なぜ馬超が、そんな苦しい立場に陥つてゐるかといふに、実は、それもかくいふ臣孔明が、手をまはして、その〔たね〕を蒔いておいたものでした。元来、漢中の張魯といふ野心家は、どうかして漢寧王(カンネイワウ)の称号を得たいと常々から希(ねが)つてをるので、その腹心の人楊松へ私から密書をやつておきました。楊松はまた慾に目のない男ですから多額な金品をあはせ賄賂(まかな)うてくれたことも申す迄(まで)もありません。——そこで私の書中には——わが主玄徳が蜀を収めたら、天子に奏して、きつと張魯をして、漢寧王に封ずるやうに運動しよう。この事は確約してもよろしい。……併(しか)しそのかはりに、馬超を葭萌関から呼び返し給へ。さう申(まうし)遣(つかは)したわけです」
「なるほど」
玄徳は孔明の遠謀に、今更ながら愕(おどろ)きの目をみはつてゐた。
「——交渉数回、もと/\それに野望のある張魯ですし、楊松へもいろ/\好条件をつけてやりましたから、私と漢中との、秘密外交はまとまつてゐるのです。で、漢中の方針は、急角度に一変し、ここへ攻めて来てゐる馬超に対して、即時引揚げよと、張魯から幾たびも早馬が来てをるはずです」
「ほう。さうであつたか」
「併(しか)しです。——馬超が素直にそれを肯(き)くわけはありません。彼は国のない者です。この機会に自己の地盤なり兵力なりを持たなければ生涯の機を逸するものと、深く思つてゐるにちがひない。旁々(かた/゛\)、諸州への外聞もある。——漢中の命令を耳にも入れず、却(かへ)つていよいよ急にこゝを攻めてゐるものなのです」
「——む、む」
「張魯の心證は、俄然、馬超に対して悪化しました。弟の張衛もまた、楊松と親密なので、大いに馬超を讒言(ザンゲン)し始め、馬超は漢中の兵を借りたのを奇貨として、私に蜀を攻取り、後には漢中へ弓をひく料簡だらう——と、そんなことを云ひ触らし始めたのです」
「張魯のこゝろは?」
「同様に怒り立つて、つひに張衛に兵を与へて国境に立たせ、たとへ馬超が帰るも、漢中に入るゝなかれと命令し、且(かつ)、使者をもつて、馬超の陣へ臨ませ——汝、命にそむいて、こゝを引き揚げぬからには、一ケ月のあひだに三つの功を遂げよ。一、蜀を取る。二、劉璋の首を刎ね、三、玄徳以下荊州軍をことごとく蜀外に追払へ。——と申渡したとか。以上は、馬超の身をつゝんでゐる事情です。その窮地を私は救つてやらうと考へます。どうか私の三寸の舌におまかせ下さい」
「軍師みづから行つて馬超を説かんと云はれるのか」
「さうです。それくらゐな誠意をこちらも示さねば……」
「危い。万一、不慮の事が生じたら取返しがつかぬ」
「いや、御心配はありません。明日、朝(あした)の光を見たら、直(たゞち)に行つて、馬超に面会を求めませう」
「まあ、今夜一晩、考へてからにしよう」
玄徳は容易にゆるさない。併(しか)し次の日となると、はからずもここへ、ひとりの適当な人物が、天の配剤かのごとく、玄徳を訪ねて来た。
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