吉川英治『三国志(新聞連載版)』(851)馬超と張飛(四)
昭和17年(1942)7月3日(金)付掲載(7月2日(木)配達)
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馬超は、関門の下へ来て、
「張飛はどこへ隠れたか。わが姿を見て逃げ怯(お)ぢたか。蜂の巣の蜂よ。門をひらいて出て来ぬか」
と呼ばはつてゐた。
張飛は、矢倉の上から、
「おのれ、その口を」
と、全身を瘤(こぶ)にし、腕を扼(ヤク)して、覗いてゐたが、傍らにある玄徳が、
「けふは出るな」
と、どうしても許さなかつた。
翌日も馬超の軍は、これへ来て前日のやうに、城門へ唾をした。
「いまは行け」
と、つひに玄徳のゆるしを得、そこを八文字に開くやいな、丈八の矛を横たへて殺出し、
「われこそ、燕人(エンジン)張飛なり。見知つたるか」
と、立ちはだかつた。
馬超は、哄笑した。
「わが家は、世々(よゝ)、公侯の家柄だ。なんで汝のやうな田舎出の匹夫など知るものか」
こゝに両雄の凄まじい決戦が行はれ出した。その烈しさは、見る者の胆(きも)をちゞめさせた。正に猛鷲(マウシウ)と猛鷲とが、相(あひ)搏(う)つて、肉を咬(か)みあひ、雲に叫び合ふやうだつた。
百合餘り戦つては、馬を換へてまた出会ひ、五、六十合火をふらしては、水を求めてまた戦闘した。
このあひだ両軍の陣は遠くに退いて、たゞ鉦(かね)を鳴らし鼓を打ち、自己の代表者を励ますべく、折々わあつ、わあつ、と声(こゑ)海嘯(つなみ)を揺るがしてゐるだけなのである。
時間にすると、中天の陽(ひ)が西の空へ傾くまで、さらに勝負もつかず、馬超も張飛も、いよいよ精気と神力をふるつてゐた。
そろ/\陽(ひ)が昏(くら)くなりかけた。両軍のあひだに、使者の交換が行はれ、
「篝(かゞり)を焚くあひだ、しばし軍を収めて、敵味方の二将軍にも、休息をねがひ、更に、精気をあらためて決戦しては如何(いかん)」
と、なつた。
そこで、双方同時に退き、鉦をならす——馬超も張飛も、満面から湯気をたてゝ自陣へさがつた。
時をおいて、ふたゝび張飛が、関門を出ようとすると、玄徳が、
「夜に入つた、戦(いくさ)は明日(あした)にいたせ」
と関中に止めて放さなかつた。
万一、張飛が負けて、馬超に討たれでもしてはと、けふの合戦を見てから、遽(にはか)に、心配になつたからである。
ところが寄手は、夜に入つても退かず、明々(あか/\)の松明(たいまつ)をつらね、篝火(かゞりび)を焚き、
「張飛、もう出て来る精はないのか」
と、あざ笑つた。
「何をつ」
つひに、玄徳の命に反(そむ)いて、無断、関門をひらき、馬超へ向つてをどりかゝつた。
馬超は、脆くも逃げ出した。もとより詐術である。それとは張飛も覚(さと)つてゐたが、彼の性格として、
「きたないぞ、馬超。最前の広言はどこへ置き忘れた」
と、追(おひ)掛け、追掛け、つい深(ふか)入(いり)してしまつた。
急に、駒をとめたと思ふと、馬超は振り向いて、矢を放つた。張飛は身をかゞめた儘(まゝ)、馬の鼻を突進させてゆく。
弓を捨てると、馬超は、銅(あかゞね)づくりの八角棒を持つて、張飛を待つた。張飛の蛇矛(ヂヤボウ)は、彼の猿臂(ヱンピ)を加へて二丈あまりも前へ伸びた。
「待て。張飛」
うしろの声だつた。
玄徳が追つて来たのである。玄徳は、馬超へ向つて云つた。
「自分は天下へ向つて、仁義を旗じるしとし、けふ迄(まで)、まだ一度もあざむいたことはない。——自分を信じて、けふは退(ひ)き給へ、それがしも退(ひ)くであらう」
終日の戦に、さすが疲れてゐた馬超は、それを聞くと、
「さらば」
と、玄徳に一礼を投げ、きれいに陣を退(ひ)き去つた。
その夜、軍師孔明が、こゝに着いた。
「戦況、如何に」
と案じて来たものであらう。つぶさに其(その)日(ひ)の状況を聞きとると、やがて玄徳の前に出て忠言した。
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