吉川英治『三国志(新聞連載版)』(850)馬超と張飛(三)
昭和17年(1942)7月2日(木)付掲載(7月1日(水)配達)
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葭萌関は四川と陝西の省境にあたる嶮要で、もしこれへ玄徳の援軍が入つたら、いよいよ破ることは難しいと察してゐたので、漢中軍をひきゐた馬超は、
「玄徳の新手が着かないうちに」
と、連日、猛攻撃をつゞけてゐたのだつた。
しかし、すでにその先手も中軍も、関内へ到着して、この日、城頭には、新たな旌旗が目ざましく加はつてゐた。
「急変にあわてゝ、長途を駆けつけて来た玄徳以下、何の怖るゝことがあらう」
馬超の勢は、猛攻の手をゆるめず、いよいよ急激に関門へ迫つてゐた。
すると、関上から一(イツ)彪(ペウ)の兵が、一人の大将を先にして、漢中軍の先鋒へ、決戦を挑んで来た。
「知らぬか。玄徳の麾下に魏延がをることを」
魏延と聞いて、漢中の楊柏は、
「よき敵」
と、駆(かけ)寄つて、十合あまり戦つたが、脆いも薙(なぎ)立てられて部下(ブカ)諸(もろ)共(とも)逃げだした。
「卑怯、卑怯つ」
勝に乗つて、追ひかけると、魏延はつい止(とゞ)まるのを忘れて、敵の中へ深く入つてしまつた。
すでにそこは西涼の馬岱がひかへてゐる陣地だつた。馬岱の姿を見かけると、魏延は、
「これこそ馬超だらう」
と思ひこんで、閃々(セン/\)、刀を舞はして、喚(をめ)きかゝつた。
馬岱は、紅槍(コウサウ)をひねつて、それを迎へ、戦ふこと暫(しば)し、敵の力量を察して、
「強敵。油断ならじ」
と思つたものか、咄嗟(トツサ)、馬をめぐらして、楯(たて)の蔭へ逃げこまうとした。
「待てツ」
魏延の声に振向きながら、
「これかつ」
と、答へて、馬岱は、紅(くれなゐ)の槍を颯(サツ)と投げた。
魏延が身を沈めた。
そのまに、馬岱は、腰の半弓をはづして、丁(チヤウ)と番(つが)へ、一(イツ)矢(シ)送つた。
矢は、魏延の右の臂にあたつた。魏延はあやふく鞍輪をつかんで落馬をまぬかれたが、鮮血はあぶみを染めて朱(あけ)にした。
これを機(しほ)に、魏延は、駒を回(かへ)して、葭萌関の内へ駆けこんでしまつた。馬岱は、ひとたび崩れ出した味方を立(たて)直して、また、関門の下へ潮(うしほ)の如く襲(よ)せ返した。
すると関上から、改めて、さらに一人の猛将が駆(かけ)下りて来た。——自ら大声に名乗るを聞けば、
「桃園に義をむすんだる燕(エン)の人張飛!」
といふ。
聞くや、馬岱は、
「長年、出会ひたいと思つてゐた張飛とは汝か。願うてもない好敵。いざ」
と、大剣を鳴らして迫つた。
すると張飛は、
「貴様は馬超か」
と、訊いた。
「いや。俺は馬超の一族、馬岱といふものだ」
「なに、馬岱。そんな者では対手にならん。馬超を出せ」
「だまれ。おれの手並を見てからものを云へ」
馬岱はもう斬(きり)掛けてゐた。
しかし、一丈八尺の大矛(おほほこ)は、すぐ馬岱の剣をたゝき落してしまつた。馬岱が恐れて逃げかけると、
「こらつ馬岱。その首を置いてゆけ」
と張飛は、殆(ほとん)どからかひ半分に呶(ど)鳴(な)りながら追はうとした。
すると、関門の上から、張飛を呼びとめる人がある。戻つてみると、主君玄徳だつた。玄徳は云ふ。
「餘りに敵を軽んじてはいけない。けふはこゝへ着いたばかり。兵馬も疲れてをる。関門を閉ぢて、兵にも馬にも休息を与へよ」
それから玄徳は矢倉へのぼつて、敵陣を瞰望(カンバウ)してゐた。すると、麓の近くに、静なこと林のやうな一群の旌旗が見える。やがて、その陣前に馬ををどらせて、悠々、戦気を養つてゐるひとりの大将をながめるに、獅子の盔(かぶと)に白銀(しろがね)の甲(よろひ)を着、長鎗を横たへて、威風(ヰフウ)殊(こと)にあたりを払つてみえる。
「あゝ。馬超々々。いま世上の人人が、馬超の英姿を称(たゝ)へて、西涼の錦(キン)馬超といふとか。——あれに見ゆるは、まさにその者にちがひない。好い武者(ムシヤ)振(ぶり)かな」
玄徳が賞めちぎつてゐるのを聞くと、張飛は牙を咬(か)んで、身を〔うづ〕かせてゐた。
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