吉川英治『三国志(新聞連載版)』(838)草を刈る(一)
昭和17年(1942)6月18日(木)付掲載(6月17日(水)配達)
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百計も尽きたときに、苦悩の果が一計を生む。人生、いつの場合も同じである。
張飛は、一策を案出した。
「集まれ」
七、八百の兵をならべて命じた。
「貴様たちはこれから鎌を持つて山路(やまぢ)を尋ね、馬糧の草を刈つて来い。なるべく巴城の裏山に面した所の奥深い山の草を刈つて参れ」
鎌を携へた草刈部隊は、各々、城の裏山へ分け入つた。
次の日も、次の日も、草刈隊はさかんに草を本隊へ運んだ。城中の厳顔は、これを知つて、
「はて、張飛のやつ、何のつもりで、遽(にはか)に山の草を刈りだしたのか?」
いかに城外から挑んでも、城を閉ぢて、相手にしなかつたので、張飛もこの城へ手を下しやうがなく、先頃から怏々(アウ/\)として、作戦に窮してゐた状はよく窺はれたが、急に攻(せめ)口(くち)の活動も怠つて、山路(やまぢ)に兵を入れてゐるのは、何の為か、厳顔にも察しがつかなかつた。
「鎌を持て。そして城の搦手(からめて)に集まれ」
厳顔は、十名の物見を選んで、かういひつけた。
密偵の者は、鎌を携へて夕方搦手門に集まつた。厳顔が出て来て、かう密命をくだした。
「夜のうちに、裏山へ入りこみ、夜明となつて、張飛の兵がやつて来たら、巧みに、彼の草刈隊に紛れこみ、終日、草を刈つて馬に積んだら、そのまゝ張飛の兵になりすまして、敵の本陣へついて行け。そして、彼等が何の為に働いてゐるか探り知つたら、早速、脱け出してその真相を城へ告げい。早く正しい報告を持つて来た者へ順に恩賞を与へるであらう」
草刈兵になりすました厳顔の密偵たちは、心得て、各々夜のうちに山へかくれてゐた。
翌日の夕方。
例のとほり張飛の兵は、馬に草を積んでぞろ/\本陣へ帰つて行つたが、そのうちの組頭が、張飛の顔を見ると云つた。
「大将。決して労を惜むわけではありませんが、雒城へ通るには、何もあんな道なき所を伐(き)り拓(ひら)かなくても、べつに、巴城の搦手の上から巴郡の西へ出る間道がありました。なぜ、あの隠し道をおすゝみにならないのですか」
すると、張飛は初めて知つたやうに、眼をみはつて、
「何、何。そんな間道があつたのか。莫迦(バカ)野郎つ。そのやうな道のあることを存じながら、なぜ今日まで黙つてゐたのだ」
張飛の大喝は、獅子の吼(ほ)えるやうに、草刈兵ばかりでなく、全軍を震へあがらせた。
「猶豫はならん。すぐ進発の準備をしろ。こゝの巴城などは打捨てて、一路雒城へ通らんことこそ、おれの狙ひだ。兵糧を炊け、輜重(シチヨウ)を備へろ」
にはかの軍令に、宵闇は一時大混雑を起した。
二更、兵糧をつかふ。
三更、兵馬の隊伍成る。
四更、月光を見ながら、枚を銜(ふく)み、馬は鈴を収め、降(ふ)る露を浴びながら、粛々と山の隠し道へすゝんで行く。
厳顔の廻し者はかくと知るや、宵の間(ま)に、こゝを脱出して、城中へ前後して走り帰つた。
一番に戻つて来た者も、二番に帰つて来た者の言葉も、次々の者のいふ報告も、すべて一致してゐたので、
「さてこそ」
と、厳顔は手を打つて云つた。
「あくまで、城方(しろかた)が出て戦はぬに気を悩まし、遂に、こゝを避けて、間道より雒城へ押(おし)通らん彼の所存とみゆる。——愚や、愚や張飛。それこそわが望むところ」
厳顔もまた城中の勢を悉(こと/゛\)く手分けして、勝手を知る間道の要所要所に、兵を伏せて待つてゐた。
おそらくは、張飛の先陣、中軍が山を越える頃、輜重兵糧の車馬はなほ遅れて遠く後陣にあらう。その頃、合図の鼓とともに、いちどに殺出して、敵陣を寸断せよ。個々撃滅して、みなごろしにすべし——と厳顔は味方の武将につたへてゐた。
やがて、木々のしげる間を、黒黒と敵の先鋒中軍は通つて行つた。まぎれもない張飛の姿も見えた。それをやりすごして、輜重部隊の影を見た頃、
「今ぞ」
と、厳顔は、合図の鼓を高らかに打たせた。
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